家康が保守的に見える理由は領地事情だった?

01/10/2022


コメントできるようになりました 織田信長

緞帳の前のほの日キャラ 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康

 

信長、秀吉、家康といえば戦国の世を終わらせた三英傑です。しかし、この3名では家康が一番保守的な政治家に映るかと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


徳川幕府が保守的だと批判される理由

天下を収めた徳川家康

 

確かに家康が興した徳川幕府は制限貿易を敷き世界から入る情報を統制したので、それが明治維新後の近代化の遅れとしてネガティブに批判される事もあります。ですが、それは家康の性格ではなく領地の問題かも知れません。

 

こちらもCHECK

秀吉亡き後、野望を持ち始めた徳川家康
「家康の家系」風雲松平三代!覇王清康、没落した広忠を経て桶狭間から40年で天下人になった家康の家系を紹介

続きを見る

 

 

織田信長スペシャル

 

 

徳川家康の領地事情

徳川家康とマブタチな本多正信

 

徳川家康は元々、三河、駿河、遠江など東海から関東の大名でした。その後、小田原北条氏の領地に秀吉の命令で領地替えされるので領地は、より関東に寄っていきます。

 

一方の秀吉は、東海から近畿、四国、中国が勢力基盤でした。当時、東国は西国に比較して開発が遅れていて、特に商業においては大都市が幾つもある西国が進んでいる状況です。

 

こちらもCHECK

天下を収めた徳川家康
徳川家康のルーツ十八松平とは?江戸時代まで十四家も残った生命力が強い一族を解説

続きを見る

 

こんにちは西洋

 

 

商業を重視した豊臣秀吉

豊臣秀吉に仕える仙石権兵衛秀久

 

秀吉が商業を重視したのは、立地条件からも当然の選択です。しかし、家康はそうではありませんでした。石高こそ、秀吉を上回る250万石もありましたが、本拠地の江戸は、まだまだ湿地帯が多く時間をかけて開発が必要でした。

 

こちらもCHECK

ガレオン船(世界史)
戦国日本はどうしてガレオン船を海戦に使わなかったのか?

続きを見る

 

47都道府県戦国時代

 

 

徳川家康が保守的に感じる理由

タヌキ徳川家康

 

家康が秀吉や信長より農業重視に見えるのは、保守的だからではなくまだまだ関東に開発の余地あり、商業は農地開発が一段落した後だと考えていたからではないでしょうか?

 

こちらもCHECK

秀吉亡き後、野望を持ち始めた徳川家康
戦国時代の名古屋はどんな土地?信長、秀吉、家康が誕生した場所なのになぜ首都にならないの?

続きを見る

 

ガンバレ徳川

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

-徳川家(戦国)
-