「本能寺の変」の謎のひとつ。それは、死んだはずの信長の死体が見つからなかったことです。
「まあ、それは、突然のクーデターという大混乱の中の話だからしょうがないんじゃないの?」などと簡単にいうなかれ。これは明智光秀にとっては死活問題だったはずです。クーデターの確実な成功のためには、信長の遺体を確保し、天下に「確実に信長を討ち取った」と号令したいところだったはず。
光秀が「信長を殺した」と宣言しても、証拠がなければ、「もしかしてハッタリでは?信長は実は生きていたりしないか?」などと諸侯に勘繰られてしまい、決定的に不利になってしまいます。というわけで、光秀の部下たちが探しても探しても、信長の遺体が見つからなかったのは、明智光秀にとっては決定的な誤算でした。
もちろん「信長の遺体が見つかっていたとしても、光秀の敗北は不可避だった」という意見もあるでしょう。でも、遺体さえ見つかっていれば、その後の歴史の展開はまた少し変わっていたかもしれません。
あくまで「もしかすると」ですが、遺体さえあれば、もう少し明智光秀は中央でネバり、秀吉の天下統一もスムーズではなかったかもしれませんし、柴田勝家や滝川一益の運命も違ったかもしれません。
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けっきょく信長の遺体はどこに消えたのか?
それにしても、肝心の信長の遺体はどこに行ってしまったのでしょう。これについては古来より、さまざまな説が入り乱れております。
- 誰かが持ち去ったのだ
- 信長自身が自らの遺体の見分けがつかないようにあえて炎の中で自殺したのだ
- 単に、予想以上の現場の炎上のせいで、どれが信長の遺体かわからなくなってしまっただけだ
まあ現実的に考えれば、最後の「単に現場がぐちゃぐちゃだったから」あたりが真相の可能性が高いですが。それでは身も蓋もないので、歴史ファンとしてはいろいろと空想をたくましくするわけです。という次第で、信長の遺体が見つからなかったというだけで、信長にまつわるさまざまな「伝説」が生まれることになったのでした。
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当然でてきたのは、「信長生存説」!
そしてこういう時に決まってでてくるのが、現代で言えばアドルフ・ヒトラーやエルビス・プレスリーの死後にも流布した、「実は彼は生きていた」系の説。本能寺の変についても、遺体が発見されなかったという一点のおかげで、信長生存説が昔から根強く支持されております。
たとえば、
- 実は明智光秀自身、本当は信長を殺す気はなく、ひそかに逃がしていた
- 信長はうまく自力で脱出し、その後は田舎に潜伏して暮らしていた
- 信長はイエズス会の宣教師たちによって救出され、海外へ亡命した
などなど。はい、ツッコミどころは満載ですよね。
「光秀が、本能寺を攻撃しておきながら、肝心の信長に情けをかけるなんておかしい」とか、「日本のイエズス会宣教師たちにそんな独自行動がとれる余裕があったはずがない」とか、いろいろ、言えますよね。ですがこのように「もし信長が生きていたら」といろいろ空想をたくましくしてしまうのが、古今の歴史好きの定めらしく。
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ライターYASHIRO自身が考えた、「信長生存」の乏しいながらもあり得る可能性
私自身は、どう考えているのか?
残念ながら私も、「生存説」については、かなり無理があると考えています。というのも、信長のキャラクターを考えればすぐわかる通り、もし彼が生きていたのなら、その後は表舞台から消えてひっそりと暮らしていたなんてハズがなく、何らかの形でまた世に出てくるはずだからです。
「それは承知で、なんとか、信長が実は生きていたシナリオを探してくれないか」と、もし熱烈なファンに頼まれたら、どうでしょう?
そうですね。たったひとつ、あり得なくもないシナリオを考えたことが、あります。
すなわち、
・信長は何らかの形で本能寺を脱出したのだが、重傷を負っていた上に記憶障害を負ってしまい、そのために余生はひっそりと暮らすしかなかったというもの。
この可能性まで考えれば、生存説もアリになるかもしれません。でも、再起不能の状態でなんとか生きながらえたという「説」では、信長ファンは喜ばないかもしれませんが。
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まとめ:ふと空想してしまった展開、「もし信長生存説と光秀生存説、両方が正しかったら?」
しかし、ふと、思い出したことが。そういえば、明智光秀のほうにも、「実は生きていた」説が昔から根強くありますよね。
有名なものは、のちに徳川家康と懇意になった天海上人という実在の高僧が、「実は生き延びた明智光秀の、隠れ蓑としての姿だった」という伝説。こちらはこちらでツッコミどころの多い伝説ではありますが、興味深い話ではあります。
でも、「信長の遺体がなかった」ハナシと、「光秀は生きていた」説、両方がもし正しかったら、歴史はどうなっていたのでしょう?
そんなことを考えているうちに、以下のような空想をしてしまいました。戦国の世もほぼ落ち着いた時代。天海という僧侶になりきって、どうにか平和な老後を手に入れた明智光秀のところに、村人からこんなお願いが入りました。
村人「天海さま。実は、おらたちの村に三十年ほど前から、記憶を無くした老人が棲んでおりまして。その老人が危篤なのですが、どうか、最期に、お経をあげてやってくれませんかね?」
天海「それは気の毒な境遇のご老人じゃのう!よし、わしが経をあげてやろう」
(村にて)
天海「ここがその老人の住居か。それでは上がらせてもらってと。おお、あなたが、ハナシに出てきたご老人かな?」
末期の老人「・・・お坊よ、おぬし、どこかで見覚えのある顔じゃな・・・はて?」
天海「え?・・・ああ!あなたはまさか、上様!」
末期の老人「・・・あー!思い出したぞ!お前は光秀!このやろう!あのときはよくも!てめえ!」
天海「きゃー!」
周りの村人たちは何が何だかわからず、ともかく、取っ組み合いのオオゲンカになった二人の老人を取り押さえ、どうにか引き剥がしましたとさ。
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