玉音放送とは?戦争を終わらせた昭和天皇の肉声の全貌に迫ってみた

01/03/2022


おとぼけ(田畑)ナレーション

 

戦争映画やドラマ、あるいはドキュメンタリーなどは、大東亜戦争(だいとうあせんそう)の終戦を昭和天皇の玉音放送(ぎょくおんほうそう)で締めくくるのが定番です。戦後生まれの人でも「()(がた)きを耐え、(しの)び難きを忍び」のセリフは独特な昭和天皇の肉声と共に思い出せるのではないかと思います。

 

しかし、玉音放送の全文は原稿用紙3枚分あり全文聞いたことがある人は少ないのではないのでしょうか?今回のほのぼの日本史では玉音放送全体について当時の情勢を踏まえ分かりやすく解説します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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玉音放送の構成

国会議事堂

 

では、最初に玉音放送の構成について解説しましょう。玉音放送は、大きく分けて以下5つの構成で出来ています。

 

ポツダム宣言の受諾を宣言
大東亜戦争の大義
非人道兵器、原子爆弾を非難
国民の苦境への同情
国体護持と国民への信頼

 

簡単に要約すると、帝国政府は降伏文書を受諾し日本は降伏した。私たちは自衛戦争を戦い断じて侵略をしてはいないが、戦局は不利で好転の見込みはなく、民間人を一瞬で十数万人殺戮(さつりく)する新型爆弾まで使われた。

 

これでは国民を守る事が出来ないので私は涙を飲んで降伏する。傷つき死んだ国民や共に戦った同盟国を思うと身も張り裂けんばかりだが、祖国を復興させる為、敗戦の屈辱に耐え頑張って欲しいという内容です。以下ではもう少し詳しく玉音放送を見てみましょう。

 

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ポツダム宣言の受諾

 

玉音放送はポツダム宣言を受諾した事を最初に表明します。

 


 

私は、国際情勢と日本の現状を十分に考えた結果、非常の手段をもってこの事態を収拾しようと思い私の忠義で善良な国民に告げたい。私は帝国政府に対し、アメリカ、イギリス、支那(中国)ソ連のポツダム宣言を受諾することを通告させた。

 


 

ここにある非常の手段というのは玉音放送を意味しています。当時は天皇の肉体を玉体(ぎょくたい)と言い天皇の肉声を玉音と呼びました。明治憲法は天皇が陸海軍を統率する大元帥と規定しているなど天皇の権力は非常に強いのですが、昭和天皇は務めて立憲君主であろうとし政治への干渉を極力控えていました。

 

しかし、国内には本土決戦を叫ぶ陸軍強硬派や国民が多く、もはや内閣の決定では戦争を終わらせる事が出来ない事態に直面したので当時の首相、鈴木貫太郎(すずきかんたろう)の要請で戦争を終わらせる聖断(せいだん)として玉音放送に応じたのです。

 

当時の国民は公開が許された軍服姿の天皇の写真や映像以外、天皇の肉声を聞いた事もなかったので、玉音放送は非常な驚きと衝撃をもって受け止められたのです。

 

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いだてん

 

 

戦争の大義

 

前段で日本が敗北する事を国民に知らせた天皇は、次に大東亜戦争の意義について述べます。

 


 

そもそも、国民がすこやかに安らかに生活できるよう心がけ、万国と共に繁栄と平和を享受すべきとは、天照大神以来、歴代天皇の遺訓(いくん)であり、私も常に心掛けてきた事だ。従って、我が国がアメリカとイギリスの二国に宣戦布告した理由もまた、我が国の自存自衛とアジアの安定を心から願ったためで他国の主権を侵害したり、領土を侵すような事は、もちろん私の意志とは異なるものだ。

 


 

ここで昭和天皇は、今回の戦争は敗れはしたが動機は(やま)しいものではなくアジアの安定と日本の自存自衛を願ってのやむを得ない行動だったと述べています。ただ、同時に他国の主権を侵害したり領土を侵すような事は、私の意志とは異なると述べていて、戦争中にはそのようなケースもあったとも取れる発言をしています。

 

実際、連合国は開戦前からABCD対日包囲網を敷き石油や鉄、天然ゴムのような日本経済に必要不可欠な資源を禁輸していました。追い詰められた日本は撃って出て東南アジアに資源を求めるか、戦わずして敗北を受け入れるか二者択一しかなかったのです。

 

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非人道兵器、原子爆弾を非難

 

玉音放送の中で天皇は原子爆弾を使い非戦闘員を殺傷した連合国を非難しています。そして、原爆は戦争の概念を変え人類文明を崩壊させるだろうと核の恐怖を述べています。その部分を見てみましょう。

 


 

さりながら、戦争は四年を越えて継続。陸海軍将兵は奮戦し多くの役人たちも職務を遂行し一億国民も持ち場において奉公した。おのおのがが最善を尽くしたが、戦況は不利であり、世界の情勢も日本に味方していない。

 

そればかりではなく、敵は新たに残虐な爆弾を投下し、多くの罪なき人々を殺傷し惨劇がどこまで広がるものか想像も出来ない。この状況で戦争を継続したらどうなってしまうだろうか?最後には日本民族を滅亡させるだけでなく、人類文明も破壊する事になるだろう。

 

そんな事態を招けば、私はどうして、我が子である国民を保護し歴代天皇の御霊(みたま)に申し訳がたつだろうか?これこそ、私が帝国政府に対し、ポツダム宣言を受け入れるように説いた理由である。

 


 

天皇は、陸海軍の将兵や役人、それぞれの仕事に従事する国民によく頑張ってくれたとねぎらいの言葉をかけると同時に、それでも戦争は長期化して敗色濃厚である事を認めます。

 

しかし、それが敗戦を受け入れる理由ではなく、史上初めて広島と長崎に落された原子爆弾により非戦闘員が大勢殺害された事について触れ、その被害は想像もできないほどにひどく、このまま戦争を継続すれば日本民族の滅亡に到り、ひいては人類文明も破壊するだろうと懸念を表明します。

 

そうなれば歴代天皇に対して申し開きも出来ないとし原爆の投下による日本民族の滅亡と人類文明の破壊への恐れが敗戦を受け入れる直接の原因であると述べています。史上初めて原爆について憂慮し、その非人道性を公式に非難したのは昭和天皇でした。

 

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国民の苦境への同情と耐え難きを耐え

 

映画やドラマでも有名な一文「耐え難きを耐え」の文言は、この第四段で出てきます。では、現代訳文を読んでみましょう。

 


 

私は、我が国とともにアジア解放に尽力した友好諸国に対し遺憾の意を表明せずにはいられない。そして、我が国民の内で戦死し、職場で殉職(じゅんしょく)し、不幸にも戦災で命を落とした人々や遺族の心痛と苦労を思うと内臓は裂け五体が砕ける思いである。

 

また、戦争で傷を負い、戦禍に遭遇し職を失った人々の生活苦を考えると深く心が痛む。思うに、これから我が国の受ける苦難、苦痛は大変なものだろう。国民の胸中も私はよくわかっている。しかし国際情勢の移り変わりはいかんともしがたいものであり、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで将来の我が国の平和な発展に尽くしてほしい。

 


 

大東亜戦争において日本は、ビルマ、フィリピン、インド、タイ、満洲国、中華民国(汪兆銘(おうちょうめい)政権)と大東亜会議を開催していました。これらのアジア諸国は必ずしも日本に全面賛同ではなく、それぞれの思惑も違いましたが、少なくとも16世紀以来継続する白人勢力によるアジア征服を撃ち破り、アジア人によるアジアを取り戻す理念では共通していました。

 

昭和天皇は大東亜戦争において日本に協力してくれたアジア諸国に対し、日本がアジア解放の大義を実現できなかった事を甚だ残念に思うと述べています。

 

また、今後始まるであろう連合軍による日本の占領という未曽有の事態について、家族を殺し、愛する人を奪い、家や仕事を失わせた鬼畜米英(きちくべいえい)に膝を屈する屈辱は私も十分に理解できると語り、それでも国際情勢を考えれば、これ以上の戦争は無理であると述べ、耐えられない事でも耐えて、到底忍べない事もあえて忍んで欲しいと呼び掛けています。

 

これは「米英に降伏するくらいなら死ぬまで戦ったほうがマシだ」と(かたく)なに降伏を拒否する国民に対しては非情な通告であり、玉音放送の途中に悔し涙を流し泣き崩れた人が多く出ました。

 

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国体護持と国民への信頼

 

日本の降伏を受け入れた国民にとって大きな懸念は天皇がどうなるか?という事でした。当時は、天皇の地位が保障されない限り降伏は出来ないという人も大勢いたのです。この懸念に対し、玉音放送で天皇は以下のように述べます。

 


 

私は、今、國體(こくたい)を守り抜き、忠実で善良な国民の真心を信じ常に国民と共にある。

 

だからこそ、国民が敗戦の屈辱から激情にかられ、むやみに問題を起こし国民同士が互いに相手を攻撃して社会を混乱させ、人間が踏むべき大道を踏み外し国際社会から信義を失う事を私は何よりも厳しく戒めたいと思う。

 

すべての国民が家族のように仲睦まじく、必要なモノを分かち合い、その心を長く子孫に伝え、我が国の不滅を固く信じ、国家の再建と繁栄への道のりは遠いことを心に刻んで、全ての力を将来の日本建設のために傾けていこう。

 

道義心を厚くし、志を強く持ち、わが国の美点を発揮して世界の進歩に取り残されないよう努力しなければならない。わが国民よ、どうか私の言う事を理解し実践して欲しい。

 


 

この最後の部分で天皇は國體を守り抜いたと述べています。

 

国体は古くは國體と書き、国を人体になぞらえた言葉でした。その中で天皇は首と考えられていました。国の指導者を元首(げんしゅ)と呼ぶのはその名残であり、国体を守るとは日本国の頭部である天皇を守る事だったのです。

 

しかし実際のポツダム宣言では「日本民族を奴隷化するような意図はなく、将来的に民主国家となれば占領を解除する」とあるだけで天皇について言及した部分はありませんでした。

 

なので、占領軍により皇室が廃され天皇が戦犯として裁かれ処刑される懸念はゼロではなかったのですが、昭和天皇は国民を安心させる為、国体を守り抜いたとする希望的な一文を入れたのです。

 

そして敗戦の虚無感から国民が自暴自棄(じぼうじき)になったり、連合軍のプロパガンダに洗脳されて、日本を蔑み、国民同士がいがみあう事になれば国際社会の信義を失う事になるから、私は、その事を強く警告すると戒めています。

 

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ながら日本史

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回は玉音放送について解説しました。文字数にして1200文字たらずの玉音放送ですが、その内容は非常に練られていて、連合国への敵愾心(てきがいしん)と敗戦への恐れ、愛する者を失った哀しみに沈む国民に対し天皇が、私はいつも国民を信頼し国民と共にあると静かに語りかける内容でした。

 

そして、天皇の真意を多くの国民が受け入れた結果、連合軍の日本占領はスムーズに進む事になります。歴史的に8月15日を敗戦ではなく終戦と呼ぶ事があるのは、日本人がまだ戦う力を残しながら天皇の言葉に従い粛々と武器を置いた。戦争を自らの意志で終わらせたからなのです。

 

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はじめての明治時代

 

 

 

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