「日本は経済恐慌状態にある!」「最大の不況だ!」という言葉を耳に、目にしまして。確かに収入は上がらないのに出費だけますます増えていく……先行きが不安だ……と思うことが、ここ数年で一気に加速したようにも思います。現代の経済状況、気になりますか?
気になるからこそ調べたい、そこで目にするのが過去の経済危機。起こったことは変えられないけれど、そこから学んで乗り越えていくためにはどうするか、を学ぶことが大事です。そこで今回は過去の経済状況、昭和恐慌について解説していきたいと思います。
この記事の目次
そもそも不況、恐慌って何?何が違うのか?
さてまず冒頭でも触れましたが「経済恐慌」「不況」これらの違いについてはご存じでしょうか。まずは昭和恐慌がどのような状態か理解するために、ここから解説します。まず恐慌とは、簡単に言うとパニックです。恐慌状態に陥る、などとも言われますね。不況とは純粋に景気が悪いことを言います。なので不況と並べるなら、経済恐慌、という方がより分かりやすく状況を表していると言えるでしょう。経済におけるパニック状態、それこそが経済恐慌。そしてその昭和恐慌について、次にお話ししましょう。
昭和恐慌とは?一体いつ起こった出来事なの?世界恐慌との関係も
昭和恐慌とは、かつて日本で起こった経済危機です。これによりデフレ、つまり物の価値が下がり貨幣の価値が非常に高まり続ける状況が起こりました。この昭和恐慌は1930年から1931年、昭和で言うと昭和5年から昭和6年まで起こった出来事です。昭和恐慌は1929年に起こった世界恐慌からの影響を受け、更にその時に折の悪いことに日本では金輸出解禁が行われました。これらが重なり、日本では深刻な経済恐慌、昭和恐慌が起こったとされています。
昭和恐慌が日本に与えた影響とは?デフレで起こる「買い控え」
デフレについて「物の価値が下がり貨幣の価値が上がる」と述べました。一見すると「物資が安くなる」というメリットが目に付くかもしれませんが、これは継続すると大変危険なことなのです。物が安くなると、更にそれが続くと人々は「もうちょっと安くなってから買おう」という買い控えが起こります。つまり簡単に言うと物が売れません。売れないと企業は収入が減るので、賃金が下がります。下がると収入が少ないので、そもそも安くても物が買えなくなります。また「貨幣の価値が上がる」ことも良いことのように見えますが、貯蓄がたくさんあって余裕があるならばともかく、そうでなければ純粋に収入はどんどん減っていきます。こういった経済悪化を、デフレスパイラルと言います。
昭和恐慌の特徴、そのきっかけ、そしてそれで起こった悲劇
昭和恐慌のきっかけは世界恐慌、つまりアメリカの株価の大暴落から始まったともされていますが、この大暴落が起こる前から既にアメリカ国内ではデフレの傾向が高まっており、既に物資の値下がりの問題が起こっていました。そこに日本からの金輸出解禁、これには為替を円高で安定させる狙いがありましたが、円高になることで海外では日本製品が高くなるため、輸出業が落ち込むようになります。
逆に円高では外国産が円で買いやすくなるのですが、そもそもとして既に国内ではデフレによる影響が強まっている状態で、安いからと外国産を大量輸入すればどうなるか。この昭和恐慌は、昭和農業恐慌という悲劇に繋がっていくこととなります。
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昭和農業恐慌の悲劇……昭和恐慌でなぜ農村が大きなダメージを受けたのか
昭和農業恐慌とは、昭和恐慌による農業、農村への大きな影響のことを言います。まず世界恐慌で対米国への生糸の輸出が大幅に減りました。ここに前年の米の豊作によりそもそも米の価格が下がっていた所ということもあり、当時の農村の最大の収入でもあった米と生糸、両方で大きなダメージを追うことになったのです。更にここに昭和6年の冷害による凶作、都市部からの失業者たちが帰農、これにより女子の身売りまで横行するという悲劇が繰り広げられることとなりました。
昭和恐慌の発生から収束まで
さて、まとめますと昭和恐慌の始まりは1930年、そして収束したとされるのが1931年。これを昭和で言うと昭和5年から昭和6年となります。ただ世界恐慌のからの影響、そもそもの1929年の米の豊作による影響も合わせると、1930年前後に起こった経済恐慌、と表すべきでしょうか。年数にすると短いように思えますが、その期間に起こった悲劇や人々の恐慌状態、つまりパニックは凄まじいものでした。そしてその昭和恐慌を収束させた人物こそが、この昭和恐慌のパニックを最も受けた最期を迎えてしまうこととなるのです。
昭和恐慌から立ち直らせた人物と、その最期
昭和恐慌から日本を立ち直らせたのは高橋是清氏です。彼は金輸出を停止、これにより円相場は一気に下落、円安となりました。円安により海外で日本製品が売れやすくなったため、輸出が急増、景気の急速回復が行われました。これによって世界恐慌から日本は急速に立ち直ることとなるのですが、この際に軍事費拡張を行ったことが後の軍部の発言を強くすることにも繋がっています。
その後、起こったのが二・二六事件。当時の陸軍は統制派と皇道派が対立しており、そこに昭和恐慌。果てに政治での汚職事件が頻発して肥え太る官僚に農村部での娘の身売りなどの悲劇を目の当たりにした青年将校らの不満が爆発し、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官・兵を率いて蜂起し、政府要人を襲撃する事件が起こりました。この中で高橋是清氏は暗殺されましたが、皇道派にとって最も尊ぶ昭和天皇はこれに大激怒、青年将校らは一部自決、投降した者たちもその一部は銃殺刑に処されるなど、クーデター勢力は一掃されることとなります。
しかし、そのやり方はどうであれ、多くのクーデターを行った者たちは被害者の側面も大きいのではないかと思います。食うに困り、姉妹や娘は身売りされ、餓死者は出てというこの世の地獄を見て来たからの結果だったとも言えるでしょう。このような悲劇を繰り返すことのないように、過去の苦い歴史から目を反らすことなく、そして現在の政治に決して無関心ではいないよう、努めていかなければ、と思いますね。
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三国志ライター センのひとりごと
昭和恐慌について、調べれば調べるほどに悲惨な出来事も同じほどに目に入ります。同時に、現在の日本の経済状況に付いて更に理解を深め、その上でしっかりとした自分の意見も持たなくてはならない、そうも考えるのです。
正しい知識を得た上で、自分の意思を持ち、自分の国の政治に関わっていく、それが最も大事なのではないでしょうか。その最たる手段が、選挙に行くこと、だと思います。自分の意思を、考えを、より深く意識していくことこそがより自分の現在を良くできる一歩。そうであると願います。ちゃぷり。
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