ロシア大統領府は、4月29日通貨ルーブルと金やその他の商品の交換比率を固定する事を検討していると明らかにしました。
現在の国際機軸通貨はUSドルですが、ロシアはドルを離脱してアメリカの影響力を排除し、百年ぶりに金本位制に移行しようとしているのではないかと波紋が広がっています。
世界史で習った覚えがある金本位制ですが、そもそもどういう制度なのでしょうか?
政府が保有する金が通貨の発行量と同じになる制度
金本位制とは、国が保有する金の量で通貨の発行量が決まる制度です。国が多くの金を持っていると通貨をたくさん発行する事が出来、金が少ないと少しの通貨しか発行する事が出来ません。
金は希少金属で誰もが欲しがるので需要は常にあります。そこで、保有する金の量と通貨の量を同じにする事で通貨の信用を確保するのが金本位制の狙いなのです。
そのため、金本位制を敷く国では兌換紙幣を発行していました。兌換紙幣は銀行で紙幣の額面と同じ金額の金と交換できる紙幣の事です。逆に金と交換できない紙幣は不換紙幣と言いました。
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国際貿易を促進する金本位制
では、金本位制はどうやって誕生したのでしょうか?
金本位制は19世紀のイギリスで誕生しました。当時のイギリスは産業革命に成功して世界の工場となり国際貿易において独り勝ちしていましたが、1つ困った問題に直面していました。
商品を売るのはいいけど、相手国の通貨に額面通りの価値があるのか?という事です。イギリスには、貿易相手の通貨が信用できるかどうか調べる術がなく商品を売るだけ売ってから、相手国が破産して通貨が紙くずになったら大損だからです。
一番良いのは、相手国がイギリスの通貨であるポンドで支払いをしてくれる事ですが、ポンドを発行しているのはイギリスなので、相手国がポンドで支払うには自国通貨を両替してポンドを用意せねばならず手続きが面倒です。
そこで、イギリスが考えたのは貿易代金の支払いを各国が保有する金で済ます事でした。貿易相手国が、国が保有する金の量を公表し、それを上限に通貨を発行すれば保有する金が通貨の価値を保障し通貨価値が暴落する事がないからです。
イギリスの提案には、イギリスに続いて産業革命を達成したドイツやフランスが賛成し、やがてアメリカや日本も金本位制に切り替えていきました。国内の金が通貨の信用を保障する金本位制は、国際貿易の安全性を保障したので、20世紀に入ると世界中の国々が金本位制を採用していったのです。
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金本位制が崩壊した理由
20世紀に拡大した金本位制ですが、大きな弱点がありました。それは、金本位制に参加したが最後、政府でも通貨の発行量を急に増やせないという事です。
元々、国内の金保有量と国内の通貨発行量には何の関係もありません。しかし、金本位制に参加すると保有する金の量を越えて通貨を発行できない縛りが生まれるのです。
そうなると、例えば戦争のような多額の通貨が必要になる事業は金本位制では出来ません。戦争では、国家予算の数年分という巨額が必要になるので、簡単に国内の金保有量を越えてしまうからです。また、国内が不景気になり景気対策として財政出動しようとしても、金の保有量が少ないと出来ない事になります。
第1次世界大戦と1920年代の世界恐慌では、金本位制の弱点がもろに出てしまい、世界各国は次々と金本位制から離脱。金本位制の時代は終わりを告げます。
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ドルの時代
1945年、第二次世界大戦は終わりますが、金本位制は復活しませんでした。しかし、国際貿易を盛んにする上でなにか金に代わり基軸になる通貨が必要です。
そこで名乗りを挙げたのがアメリカ合衆国でした。第二次世界大戦でアメリカは国土が戦場にならずに済み、また世界中に武器や物資を輸出し、没落したイギリスを抜いて世界最大の金保有国になっていました。
そこで、世界最大の金保有国アメリカドルを基軸通貨とするブレトン・ウッズ体制が成立します。ブレトン・ウッズ体制では、USドルだけが金との交換レートを持ち、それ以外の国の通貨はドルと自国通貨を交換する事で貿易をしました。
こうして見ると、金本位制とあまり違わないように見えますが、金との間にUSドルを挟んだ事で、アメリカは必要に応じて発行する通貨の量を自由にコントロールできるようになります。
金本位制では、世界の金の量はなかなか増えないので経済の拡大に対応しきれませんでしたが、ブレトン・ウッズ体制ではアメリカがドルの供給量をコントロール出来たので世界経済は堅調に推移していき、国際社会はドルの恩恵を受けたのです。
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ニクソンショックから管理通貨制へ
しかし、基軸通貨ドルの時代は長くは続きませんでした。
アメリカは東西冷戦に突入してソビエトと軍拡を繰り広げ、特にベトナムの赤化を阻止するとして泥沼のベトナム戦争に突入します。また、戦後復興を遂げた欧州やアジア諸国も経済が回復し高度経済成長により、アメリカの競争相手になっていきました。
その間も、アメリカは無制限にドルを刷り続けたので、アメリカ国内の金は海外に出てゆき、アメリカ国内の金保有量とドルの発行量は大きく差が開いていく事になります。
そして、1971年、アメリカのニクソン大統領は、それまで金1オンス(28.3495g)に対し35ドルで交換していた金との兌換を停止します。それからしばらくすると長く1ドル=360円で固定された日本円とドルの交換レートも下落しました。
強いドルに依存していた世界経済は衝撃を受けますが、その後はドルに頼らず、国内法律に基づいて通貨の量を調整する管理通貨制へと世界経済はシフトしていきました。
現在社会でも基軸通貨はドルですが、ドルと各国通貨の関係は絶えず変化しています。日本の円高や円安が問題視されるのも、ドルとの固定相場が終わり管理通貨制に移行したからなのです。
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世界史ライターkawausoの独り言
今回は金本位制を解説しました。この金本位制はイギリス独特というわけでもなく、江戸時代日本でも採用されていました。それが、江戸時代に各藩で発行されていた藩札です。
この藩札は兌換紙幣であり、藩の役所に持って行けば同じ価値の金と交換できました。財政に苦しんだ藩は、藩札発行額の1/3ほどの金を準備し幕府に届け出て許可を受けて運用していました。金で通貨の信用を得ようという意味ではこちらも金本位制です。
しかし、藩札はおおむね人気がなく、藩は藩札を強引に流通させようと、幕府が発行した通貨を使ってはならないとお触れを出したり、藩が事業に失敗し保有する金が底をついて藩札が紙くずになったりと領民にとっては、大体迷惑な代物であったようです。
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