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上杉四天王とは?上杉謙信を補佐した知勇兼備の4人の名将を紹介

04/08/2022


上杉謙信

 

戦国時代最強の武将として、かならず名前が出てくる上杉謙信(うえすぎけんしん)。しかし、名将の陰に名将を補佐する優秀な側近がいるのが世の常です。そこで今回は、上杉謙信を支えた上杉四天王について解説しましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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上杉謙信最強四天王

上杉謙信

 

 

上杉謙信を支えた上杉四天王は以下のメンバーです。

 

柿崎景家(かきざきかげいえ)(合戦最強)

直江景綱(なおえかげつな)(外交と補給最強)

宇佐美定満(うさみさだみつ)(実在するか不明最強)

甘粕景持(あまかすかげもち)(しんがり最強)

 

以上の4人が上杉四天王と呼ばれています。

 

前線が好きな上杉謙信

上杉謙信
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麒麟がくる

 

 

 

上杉謙信家臣 二十五将

上杉謙信が信仰した毘沙門天(神話)

 

上杉謙信には、四天王以外にも上杉二十五将が存在します。

それは以下の25名です。

 

長尾政景(ながおまさかげ)(上杉景勝の父)

長尾景秋(ながおかげあき)(不明)

宇佐美定行(うさみさだゆき)(上杉四天王)

新津義門(にいつよしかど)(新津城主)

金津義舊(かねづよしもと)(家柄が長尾氏より古く尊重された)

北条長国(きたじょうながくに)(謙信に謀反して許され活躍)

色部長実(いろべながざね)(七手組大将の色部勝長の子)

本庄慶秀(ほんじょうよしひで)(美作守、82歳ご長寿)

本庄繁長(ほんじょうしげなが)(七手組大将。父房長の仇を討った勇者)

甘糟清長(あまかすきよなが)(白石城代2万石知行)

杉原親憲(すいばらちかのり)(慶長出羽合戦で前田慶次と退却戦を戦う)

斎藤朝信(さいとうとものぶ)(文武両道、越後の鐘馗!)

安田順易(やすだじゅんえき)(片足不自由なのに大坂の陣で活躍)

高梨頼包(たかなしよりかね)(信玄と戦い中野城奪還に生涯を賭ける)

柿崎景家(かきざきかげいえ)(七手組大将。上杉四天王)

千坂清風(ちさかきよかぜ)(不明)

直江実綱(なおえさねつな)(上杉四天王)

竹股朝綱(たけまたよりつな)(七手組大将竹俣清綱の孫。魚津城の戦いで織田軍相手に戦死)

岩井経駿(いわいのりとし)(不明)

中条藤資(なかじょうふじすけ)(七手組大将。謙信が生涯感謝した上杉家中筆頭)

山本寺孝長(やまもとでらたかなが)(竹股朝綱とともに魚津城で戦死)

吉江定仲(よしえさだなか)(不明)

志田義分(しだよしわけ)(最上相手に奮戦幕府に二度も蟄居を命じられた)

小国頼久(おぐによりひさ)(源頼光の末裔、謙信に従い小国氏を再興)

加地春綱(かじはるつな)(七手組大将、長尾為景と謙信二代に仕える)

 

経歴が不明な人もいますが、なかなか豪華なメンツですね。

 

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武田四天王 上杉四天王

真田丸 武田信玄

 

上杉謙信のライバルであった武田信玄にも武田四天王がいます。

 

馬場信房(ばばのぶふさ)

春日虎綱(かすがとらつな)高坂昌信(こうさかまさのぶ)

内藤昌豊(ないとうまさとよ)

山県昌景(やまがたまさかげ)

 

この4人はいずれも川中島の戦いに従軍し、上杉軍と名勝負を演じましたが、馬場信房、内藤昌豊、山県昌景はいずれも長篠の戦いで鉄砲に倒れ、武田勝頼の時代まで生き残ったのは、春日虎綱のみでした。

長篠の戦い(鉄砲一斉射撃)

 

 

また、武田四天王は、百姓出身の春日虎綱、家臣の次男以下の馬場信房、内藤昌豊は譜代家臣の次男以下、山県昌景は身分が低い甲斐衆の出身と多彩です。

 

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上杉四天王 直江景綱

直江兼続 将軍

 

直江景綱は有名な直江兼続(なおえかねつぐ)が婿養子に入った家です。景綱は謙信の父、長尾為景からも信頼を寄せられた名将で内政と外交を任されています。1556年、癇癪(かんしゃく)を起した謙信が越後を飛び出すと、権力が空白になった越後で景綱は奉行職として内政を任されていました。

 

では、内政と外交だけの弱虫ペダルかというとそうではなく、川中島の戦いでは足が遅く弱い小荷駄隊を率いて信玄の嫡男である武田義信を敗走させる力を見せました。

 

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上杉四天王 柿崎景家

 

柿崎景家は武力も分別もある名将として讃えられ勇猛果敢でした。第四次川中島の戦いでは信玄のキツツキ先鋒を見破り、妻女山(さいじょさん)を下りて八幡原に陣を敷く信玄本陣に奇襲を掛け壊滅寸前に追い込んでいます。

 

その強さから柿崎の名前を聞いただけで逃げだす敵兵がいたと言われています。

 

また、上杉謙信が若い頃に敵将の娘と結婚しようとした時、景家が説得して諦めさせ、それ以後謙信は独身を貫いたという話もあります。武勇だけでなく北条家と同盟を結んだり、伊達家との養子縁組の交渉役を務めるなど、ただ強いだけではない名将です。

 

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上杉四天王 宇佐美定満

宇佐美定行

 

宇佐美定満は宇佐美定行とも呼ばれ、上杉謙信の軍師と言われています。

 

主な献策は、永禄4年(1561年)の小田原攻めで謙信に対し早朝の撤退を進言したり、第四次川中島では武田の軍師山本勘助(やまもとかんすけ)の編み出したキツツキ戦法を見破り、静かに妻女山を下りて、信玄が本陣を移動した八幡原を奇襲するように進言した等です。

 

ただ、彼の逸話は江戸時代の軍学者で子孫にあたる宇佐美定祐が越後流軍学を編み出した時、自説に箔をつける為、軍師宇佐美定満を創作した可能性もあります。

 

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上杉四天王 甘粕景持

 

甘粕景持は、元々謙信の家来ではなく、甲斐と信濃の山奥に住んでいた所を謙信にスカウトされたそうです。本当なら三国志演義の諸葛孔明みたいですが、ほとんど史料がない伝説的な人物です。

 

第四次川中島の戦いでは、信玄の本陣に突撃した謙信に命じられて殿を任され、妻女山から下りてくる馬場信房と春日虎綱の軍勢の猛攻を獅子奮迅の働きで食い止めたと言われています。

 

殿というのは軍勢の最後尾で退却する時には最も攻撃を受けますが、自軍を潰滅させないために退く事も許されない厳しいポジションです。責任重大かつ割に合わないポジションなので各軍とも誠実で責任感があり武勇抜群の部下に任せていました。

 

甘粕のあまりの強さから武田勢は謙信自ら殿を勤めていると勘違いしたそうです。

謙信が死去すると上杉景勝に仕え、関ケ原の戦いを乗り越え米沢で最期を迎えました。

 

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朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回は上杉謙信の最強を支えた上杉四天王について解説しました。軍神謙信の陰に隠れて目立たない上杉四天王ですが、その実質は武田四天王に勝るとも劣らないと言えるでしょう。

 

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カワウソ編集長

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