鎌倉殿の13人、とにかく苦難の連続でありますな……まだ政子と八重殿がバチバチしていた頃の方が安心できていたのだな、と後ろを向いて再確認している次第です。
さて、今後の、そしてここまでの何ともイケイケゴーゴーな佐殿ですが、実は貴方様の悲劇はもうそこまで迫ってきているんですよフフフ……。そこで今回は、源頼朝と北条政子の娘・大姫について、彼女の「象徴」について話したいと思います。
この記事の目次
頼朝が挙兵する前、平穏に暮らしていた大姫
大姫は長女という意味の通称です。つまり大姫は「源頼朝と北条政子の長女」という意味で呼ばれているのです。
二人は大恋愛の末に結ばれ、暫くの間は家族で穏やかに過ごしていました。
源頼朝が挙兵するのが1180年、大姫が生まれたのが1178年と言われていますので、正にこの頃、大姫が幼子であったこの時が、一番穏やかに暮らしていられた、平和と幸福の象徴として愛されていた頃でしょう。
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人質でやってきた木曾義高に心を奪われる
さて時は流れて、大姫に許嫁ができます。ご存知、木曾義仲の嫡男である義高、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では冠者殿と呼ばれた美男子ですね。山猿みたいな男が来るかと思えば、少女漫画で出てきたような美青年、これには政子もびっくり。
これは口さがない言い方をすれば、あくまで人質です。ただ大姫と義高の仲はかなり良好であり、だからこその後の悲劇が起きたとされています。この頃の二人は、平和の象徴でもあったのでしょうか。
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人質だった木曾義高が頼朝の命令で殺される
しかし、木曾義仲と源頼朝の関係は一時的に落ち着いただけであって、両者のぶつかり合いはすぐに再開することとなりました。義仲は討ち取られ、頼朝が次に刃を向けたのは嫡男・義高。
義高は一時は逃げ出すことに成功するも、追手によって討ち取られることになります。大姫は義高の死を深く哀しみ、水も喉を通らぬほどに衰弱。
大河ドラマでは政子がこの一件で怒ってしまったことで、藤内光澄の悲痛な叫びが轟くことになりましたが……大姫の悲劇から始まる政子の尼将軍への成長の一端……と思うと、何とも苦々しいものですね。
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何年経過しても義高を忘れられない大姫
その後、時は流れた「鎌倉殿の13人」では、美しく成長された大姫が笑顔で弟の万寿と共に過ごしていました。ここで姉上に無邪気にセミの抜け殻を渡す万寿。
その瞬間に、全身から感情が抜け落ちたかのようになってしまう大姫。大姫にとってはまだ過去ではないのです。心はいまだあの日々の許嫁、冠者殿の下にあるのです。あの方以上の人など、未だに現れていないことが良く伝わってくる悲痛なシーンでしたね。
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大姫の心の傷も知らず天皇の妃にしようとする頼朝
大姫の心をそこまで傷つけてしまった原因と言うか、根源と言うか……まあ父親である頼朝はそれを聞いても「姫を入内させる」……と言う方向に意識が向かっているようですが。
実際、大姫は大姫を後鳥羽上皇に入内させるため、1195年に政子と大姫たちを連れて上洛しています。この入内に関して、歴史上の源頼朝がどう考えていたかは分かりません。ただの権力の掌握のため、傷心の娘であっても利用したのかもしれない。
はたまたもしかしたら、時の権力者に嫁ぐ、良い結婚をさせることで娘を慰めようとしたのかもしれません。
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運命に翻弄され衰弱死する大姫
ですが頼朝の心がどうであったにせよ、大姫の心と体が休まることはありませんでした。結局、大姫はその後も病によって衰弱、1197年に20歳という若さで亡くなります。
幼くして許嫁を奪われ、心を患い若くして儚くなった大姫は、源頼朝の悲劇の象徴とも言えるでしょう。何せこの後、入内は頓挫、そして頼朝自身もまた急死してしまうのですから……。ここからが、始まりなのです。
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大姫死後、悲劇は弟の頼家にも忍び寄る
さて、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、大姫の悲劇はもう一つの後の悲劇に繋がっているような描写がなされていました。それは幼い万寿が、姉上にセミの抜け殻を見せた時のこと。その背後にいる、比企の影に皆様もお気付きでしたでしょうか。
後に万寿は源頼家となり、その後ろ盾には北条家ではなく、比企家が絡んでくるようになります。姉を喜ばせようとした弟、笑顔を失う姉、その姉を気遣う母……置いていかれる幼子が後に……そう思うと、この瞬間が哀しみだけでなく、恐怖すら含んでいると考えてしまう筆者でした。
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鎌倉ひよこライター センのひとりごと
大姫を取り巻く環境というのは、歴史を追うだけでも悲劇です。そしてそれを下地にドラマとして、物語として演出が入ると、より悲劇は色濃くなります。
「鎌倉殿の13人」では、過去の悲劇のみならず、これから先に広がっていく悲劇すらもここで演出している、と感じて、少しばかり震えてしまいました。無理とは分かっていますが、どうか心安らかに……もう少ししか時間がない、そう願わずにはいられません。
ちゃぽーん。
参考:吾妻鏡
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