源仲章とはどんな人?義時の身代わりで殺害された可哀想な二重スパイ

19/11/2022


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

源仲章

 

源仲章(みなもとのなかあきら)宇多源氏(うだげんじ)の流れを汲む人物です。院近臣(いんのきんしん)として後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)に仕えると同時に鎌倉幕府3代将軍、源実朝(みなもとのさねとも)の教育係としても活躍し、その功績から従四位上(じゅしいのじょう)官途(かんと)を受けて殿上人(でんじょうびと)になりました。

 

しかし、そんな仲章も最後には北条義時に間違えられて暗殺されるという悲惨な最期を迎えるのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


父の代から院近臣として仕える

朝廷(天皇)

 

源仲章は、宇多源氏の流れを汲む左大臣源雅信(みなもとのまさのぶ)後裔(こうえい)です。父の源光遠(みなもとのみつとお)後白河法皇(ご・しらかわほうほう)の近臣として院判官代(いんのはんがんだい)を勤め、仲章はその後を継いで後鳥羽上皇に仕えました。

 

仲章は朝廷だけでなく鎌倉幕府とも誼を通じて朝廷に仕えたまま御家人としての資格を得ます。これは特に珍しい事ではなく、当時は朝廷と幕府に仕える御家人は存在しました。

 

法力を持つと自称していた阿野全成

 

公家っぽい仲章ですが京都では盗賊を捕縛したり、幕府との連絡係を務めるなど無骨な仕事もしていて、謀反を企んだとされた阿野全成(あのぜんじょう)の子、頼全(らいぜん)を処刑したのも仲章です。

 

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将軍実朝の教育係に抜擢

源実朝

 

 

鎌倉で3代将軍実朝が即位すると建永元年(1206年)頃から、幼い実朝の侍読(じどく)(教育係)として仲章に声がかかり鎌倉へ下向します。学者としては、それほど有名ではない仲章ですが博学であり、武芸に秀でた人はいても、学問が出来る人材には乏しい初期の鎌倉幕府では重宝されました。

 

戦国時代の武家屋敷b

 

 

将軍実朝に気に入られた仲章は御所の近くに邸宅を与えられつつも、院の近臣としての地位も保持し、京都と鎌倉を往復して幕府情報を後鳥羽上皇に流していたようです。

 

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はじめての鎌倉時代

 

 

政所別当を務め殿上人に昇進

公家同士の会議(モブ)

 

 

仲章は実朝の信任もあり昇進して建保(けんほう)4年(1216年)には政所別当(まんどころべっとう)に任じられました。しかし、政所別当は侍所別当(さむらいどころべっとう)と違い独任制ではなく2人~5人で職務を担当していて、仲章ばかりではなく大江広元や北条義時も別当でした。

 

幕府の重職を勤めるに従い、官位も相模守から大学頭(だいがくのかみ)を経て建保6年(1218年)には幕府の推薦という形で、従四位下(じゅしいのげ)文章博士(もんじょうはかせ)と上昇し順徳天皇の侍読(じどく)を兼務して昇殿を許されます。こうして仲章は殿上人となりますが、思わぬ悲劇が待っていました。

 

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北条義時

 

 

 

悲惨、北条義時と間違われ斬殺

公暁

 

 

建保7年(1219年)源実朝が右大臣に任官した事を記念し、鶴岡八幡宮において祝賀拝賀が開催されます。吾妻鏡によると、この時実朝を護衛して剣を持っていたのは北条義時でしたが、急に体調不良を起こしたとして仲章と役目を交替し自宅に戻ります。

 

しかし、ここで公暁一味(こうぎょういちみ)が将軍実朝を襲撃して斬殺、さらに護衛役の仲章も義時と誤認して殺害しました。

 

慈円 中世きっての名僧

 

 

一方、天台宗僧侶、慈円(じえん)の日記である「愚管抄(ぐかんしょう)」では、実朝が義時に八幡宮の中門に留まるように命じたので義時は殺害現場に同行していなかったと記します。この時、仲章は先導役として先頭で松明を振っていて、公暁一味に義時と勘違いされ殺害されました。

 

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鎌倉殿の13人

 

 

 

勘違いではなかった説

忙しい方にざっくり解答03 kawausoさん

 

 

義時の身代わりで殺されたと記される仲章ですが、仲章が最初から殺害目標に組み込まれていたとする説もあります。それによると、仲章は後鳥羽上皇との結びつきを強める将軍実朝のブレーンであり、その存在を疎んだ御家人の北条義時と三浦義村が公暁を使って実朝と共に排除したとしています。

 

後鳥羽上皇

 

真相は不明ですが、近年では実朝が決して北条氏の傀儡(かいらい)ではなく強いリーダーシップを発揮し、後鳥羽上皇を後ろ盾にして政権を運営していた事が分ってきており、可能性は十分にあると言えます。

 

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北条政子

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

源実朝は執権北条義時に対抗すべく、後鳥羽上皇を後ろ盾として京都から院の近臣を召集して、自身の手足とする事で将軍権力の確立を図りました。

 

その究極の策が、後継者として後鳥羽上皇の皇子を4代目の鎌倉殿にする計画だったのです。源仲章は後鳥羽上皇の、あるいは自分の意思で実朝のブレーンとして働き、その結果義時や義村のような有力御家人に疎まれ、実朝と共に殺害されたのかも知れません。

 

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カワウソ編集長

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
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