大河ドラマ「どうする家康」の主人公、徳川家康、ドラマでもストレスを感じると、しきりにお腹をさすり、すぐにトイレに入ってしまう情ない描写がされていますが、家康は本当に腹痛に悩まされていたのでしょうか?
家康は過敏性腸症候群だった?
家康の腹痛はストレスによるIBS(過敏性腸症候群)ではないかとする説があります。IBSとは、脳が不安や緊張を感じた時に分泌される神経伝達物質の一種であるセロトニンが腸で大量に分泌され過剰に働くと下痢や腹痛を起こす症状の事です。
IBSは、知能が高く先々の事まで心配する人に発症する確立が高く徳川家康やジョン・F・ケネディ米大統領も患者だったと考えられています。また、IBSはストレス性なので検査しても原因が分からず、それも家康を不安にさせて症状を悪くしたのかも知れません。
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腹痛持ちの割に無茶だった家康
そんな腹痛持ちの家康、若い頃からさぞかし健康には気を付けていたように見えますが、実際はそうではないようで、医学に関心を持ったのも40歳を過ぎてからでした。切っ掛けは小牧・長久手の戦いの時に背中に出来た癰(細菌性の感染症)のようです。
当時の家康は医学に関心がなく、背中が膿んでくると、これを指で潰して膿を出していました。もちろん、これは危険なやり方で余計に病気を悪化させ、家康は激痛で仰向けに寝られないほどの苦痛に苦しみます。しかし、そんな瀕死の家康に家臣が塗り薬を処方すると癰は次第に良くなり全快しました。
家康は自分流の病気処置で酷い目にあったので、以後は謙虚に医学を学ぶと同時に、水泳や鷹狩りの乗馬で心身を鍛え、自ら薬を調合するなどして健康オタクの道を突き進んでいったのです。
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医学マニアになる家康
肥満体で鈍重なイメージの家康ですが、実際は乗馬でも水泳でも稽古を繰り返し一流の域に到達するほどに万能の人でした。医学も同じでマニアックな家康は医学書を読み漁り、遂には自ら薬を処方して、自分で服用したり病気に苦しむ家臣や、他の大名に贈ったりと医者の真似事をするようになりました。実際、家康の処方した薬で病弱な孫、徳川家光が全快したという事もあり、家康は自分の医術に自信を深めました。
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最後も自己診断で寿命を縮める
ところが、その自惚れが家康の死を早めてしまいます。大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした後、家康は原因不明の腹痛に悩まされるようになります。現在では腹部のしこりなどから、胃がんだと考えられていますが、家康は自分の見立てで、これは寸白(サナダムシ)だと診断し虫を下そうと強い下剤を調合して飲むようになります。
これに対し、家康の侍医である片山宗哲が「その見立ては正しくありません。強い下剤は体力を奪うのでおやめください」と諫言しますが、自分の医術に絶対の自信を持つ家康は聴かず、逆に宗哲を疎んじて左遷してしまいました。結果は宗哲の懸念した通りで、家康は胃がんと下剤で体力を奪われ、見る陰もなく瘦せ細って数ヶ月で死んでしまったのです。当時、胃がんは不治の病であり、宗哲の指示通りにしても家康は死を免れないとは思いますが、なんとも天下人らしからぬ間抜けな最期になってしまいました。
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日本史ライターkawausoの独り言
今回は徳川家康と腹痛について解説してみました。IBS(過敏性腸症候群)に悩まされた家康ですが、医学に興味を持ったのは、背中に出来たオデキを自己流で潰して治療しようとして悪化したせいというのが面白いですね。しかし、医学に詳しくなった結果、自分を名医と勘違いしてしまい、自分の病気の診断を誤り、寿命を縮めたのは残念な事でした。
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