「私の先祖は誰でどんな仕事をしていたんだろう?」
皆さん、こんにちは、かわうそ編集長です。突然ですが、皆さんは苗字を持っていますか?
「持っていませーん」という人がきっと珍しいでしょうね。
さて、この苗字が親から子に、子から孫に受け継がれるものだという事は皆さんご存知ですよね?ということは自分の苗字の由来が分れば自分が誰の子孫かが分かるって事になりませんか?実は苗字の由来が分るとあなたの先祖がどこに住んでいて、どんな身分だったのか、何百年という時間を飛び越えて分かる事があるんです。
そう言われると、ちょっと気になりますよね?それでは、苗字について紐解いて見る事にしましょう。
この記事の目次
苗字の前に姓を解説
苗字について語る前に苗字と混同されやすい姓について解説しましょう。現在でこそ、姓も苗字も同じような意味で使用されていますが元は別モノでした。具体的に言うと姓が古く、次に苗字が出てきます。
では、最初に姓について説明しましょう。
大昔、電気も水道もスマホもない大昔、人間が1人で生きていくのはとても大変でした。そこで人々は同じ先祖から生まれた人間同士が同じ土地に住んで助け合って暮らします。この血を同じくする人間の集団を氏族とか部族と呼びます。
やがて、この氏族は成長して土地を支配していく豪族になります。
5世紀頃に強大な大和朝廷が成立すると、周辺の氏族は自分達の安全を考え、大和朝廷の役職を引き受けたり娘を天皇に嫁がせるなどしてその支配下に入りました。この時に、大和朝廷が褒美として与えたのが姓だったのです。
姓は大和朝廷における階級や役職を表していました。たとえば重臣である臣や連、機織りを受け持つ織部、漁業に従事した海部、医者である薬師などです。
これらの姓は天皇と各氏族の関係を示すと同時に氏族同士の身分の上下をあらわし、便利なので次第に定着していきました。さらに時代が進んでいくと藤原氏、源氏、平氏、橘氏の源平藤橘が登場し、天皇の側近となる事で勢力が強まり人数を増やしていきました。
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苗字が登場した意外な理由
さて、次に苗字について説明しましょう。
9世紀頃になると、先に紹介した藤原氏が天皇に娘を嫁がせて外戚になり、やがて娘が産んだ孫を天皇に即位させ、摂政や関白として政治を取り仕切る摂関政治が始まります。
また、清和天皇や桓武天皇のように自分の孫に源や平のような姓を与えて民間に降ろしていく事が一般的になります。どうして自分の孫を民間に降ろすかと言うと、当時の皇族は正妻以外にも何人も奥さんがいて、次々に男子が誕生したからです。
そして、それらの男子も成人すると複数の奥さんを持つので、孫の世代は百人以上という事も珍しくなくなり、とても朝廷の経費で食わせられません。だから源や平姓を与えて民間に下りてもらい自分で食べていけと厄介払いにしたのです。
源や平の姓を貰った天皇の子孫たちですが、地方ではセレブとして憧れの存在でした。そこで、地方の有力者は厄介払いをされた源・平・藤の姓を持つ人々を歓迎し娘を嫁入りさせて親戚になり、同じ姓を名乗って箔をつけようとします。
すると何が起きると思います?
そう!源平藤を姓とする人々が爆発的に増えて日本中であふれかえったのです。これでは姓で個人を区別するのが難しくなり、同姓同士でお互いを区別するため住んでいる土地の名前を名乗るようになります。これが苗字の始まりでした。
たとえば繁栄を極めた藤原氏は12世紀には人数が増えすぎて区別が難しくなり、近衛、一条、九条、鷹司、二条とそれぞれ住んでいる土地の名前や天皇との関係の近さにちなんだ苗字をつけています。
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源平と苗字
同じ事は、源氏と平氏を名乗った人々にも起きました。たとえば、関東では現在の千葉や神奈川、東京、埼玉、茨木、などに坂東八平氏と呼ばれる平氏姓を名乗る人々が大勢住んでいました。
彼らの姓は全部、平なんですが姓だけでは、どこの誰か区別がつかないので自らが支配している土地の名前を苗字として名乗るようになります。佐竹、鎌倉、畠山、大庭、三浦、梶原、土肥等がそれでした。
現在(2022年)NHK大河ドラマで放送している鎌倉殿の13人の主人公北条義時は、伊豆の北条の郷が領地なので苗字として北条を名乗っていますが姓は平です。
また、天皇から賜る姓と違い苗字は自称で、主君から褒美としてもらう事も多かったので、どんどん増え続け、今では数十万もあると言われています。
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苗字で分かる先祖の仕事
苗字から、あなたのご先祖が就いていた仕事が分る事もあります。大和朝廷は、自分に従った氏族に姓を与えたと言いましたが、それらには職業にちなんだものが多いからです。
たとえば、三宅という苗字の人は、屯倉、つまり朝廷の穀物倉庫を管理する仕事についていましたし、矢作は弓矢を製造する仕事、田部は農地の管理、加地は鍛冶で鉄製品の製造、庄司や郡司は大和朝廷がおいた地方役人の家柄の可能性があります。
珍しい苗字では犬養や鳥飼がありますが、これは身分の高い人の犬や珍しい鳥を飼育するブリーダーのような仕事をしていた人です。また戸倉や十倉という苗字は鎌倉後期から室町にかけて盛んになった質屋や金融業を扱っていた土倉の子孫なのかも知れません。
越坂部や長下部という苗字の人は大和朝廷で裁判や犯罪者の取り調べ、刑罰の執行を担当していた刑部が苗字のルーツです。だから苗字が長下部で警察官という人は先祖と同じ仕事をしている事になりますね。
庶民の苗字はいつからあるのか?
ここまで貴族や武士の姓や苗字を見てきましたが、庶民の苗字はいつから存在するのでしょうか?
少し前まで教科書や歴史漫画では江戸時代、庶民は武士と区別するために、苗字と刀を差す事を禁止され、明治になって苗字が義務になったと解説されてきました。しかし、この説明にはすでに矛盾がある事に気づきませんか?
苗字を持つ事が禁止されたという事は、それ以前庶民には苗字らしきものがあったという事だからです。実は江戸時代よりもずーっと昔、大和朝廷が政治の実権を握っていた頃には庶民でも姓を持っていました。
どんな姓かと言うと、屯倉部とか矢部とか田部とか織部とか鍛冶部とか刑部とか自分達が属している氏族の姓に「部」をつけて姓としていました。このような人々を「部民」と言います。
これらは庶民の権利というより、大和朝廷が戸籍を管理する上でグループ分けしやすいので、つけられたもので庶民が好んで名乗るものではありません。
しかし、大和朝廷の力が衰え律令制が廃れ、戸籍が更新されなくなると、朝廷の仕事をしていた矢部や田部、織部などの姓を持つ人たちも朝廷の支配下から離れ、姓は意味をなさなくなり家を識別する苗字化していくのです。
その後、時代が進むと、村でも人口が増えていき、村人全員が田部さんになるケースが登場します。すると姓だけでは家の識別が難しくなり、山の上に家があるから山上の田部さんとか川の辺りに家があるから川辺の田部さん、近くに沼があるから沼田の田部さん等、屋号をつけて区別するようになったのです。
この屋号は徳川幕府の苗字禁止令の間も継続し、明治に入ると屋号が苗字となって継承されていく事になりました。
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権兵衛さんは憧れの名前
少し脱線しますが、皆さんのお祖父さんや曾祖父に権兵衛さんはいらっしゃいませんか?今では時代劇でしか見かける事がない、どちらかというと田舎っぽい権兵衛さんですが、大昔は、男性憧れの名前でした。
実は権兵衛さんというのは、ごんのひょうえと読み平安時代に天皇や貴族の身辺の警護をする為に組織された兵衛府の武官名です。権は仮という意味で通常の人員を越えた時に権がつきます。
この権兵衛は、地方の有力者の子弟から、弓に優れ乗馬に長けている人が推薦を受け天皇や貴族を守る名誉ある仕事で、最大でも全国で800名しか選ばれないエリートです。
権兵衛には任期があり、終わると故郷に帰るのですが権兵衛を勤めると故郷で、立派な人だとちやほやされたので、通称として権兵衛を名乗る人が多くいました。
しかしメジャーすぎて江戸時代になると庶民でも権兵衛を名乗る人が多くなり、名無しの権兵衛や種蒔き権兵衛など、読み方もごんべえに縮められ、田舎くさい名前として現在ではダサくなってしまったのです。
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苗字と身分は関連しているの?
皆さんの中には、武田とか上杉とか毛利、織田、徳川、藤原なんて苗字の人もいるかも知れません。その場合、同姓の戦国武将、武田信玄とか上杉謙信とか織田信長が先祖なのかもと考えたりしていませんか?してるでしょう?いやいや、してるに決まっています!怒らないから正直に言いなさい。
けど、夢を壊すようで申し訳ありませんが、苗字が武田だからって先祖が武田信玄とは限りません。その理由はこれまで述べてきた通り、姓と違い苗字は自称できるし主君から貰ったりできるので、たとえば織田信長と同じ織田だからってルーツが同じとは限らないのです。
たとえば織田は、元々、御田と言って神社の神主が食べていくために所有した神田を意味し、愛知県を中心に日本各地に同じ地名があります。だから信長と関係ない織田さんは大勢いる事になるのです。
さらに夢を打ち砕くようですが、明治に入り苗字が許されると屋号を苗字にする人以外に、「折角だからカッちょいい苗字をつけようぜ」と、徳川、織田、武田、真田、羽柴のような偉人の苗字を新しくつけたお調子者が全国に大勢出現しました。
なので、確かな家系図や有名武将が子孫に残した文書などが残っていない限り、偉人と苗字が同じだからルーツも同じとは言い切れないのです。
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苗字と住んでいる場所の関係は?
苗字が分かると、過去に先祖が住んでいた土地や地形が分ったりします。すでに書いた通り苗字は同姓の人と自分を区別するために誕生したので、一目で区別できる地形は有効な手段でした。
たとえば、村の中心に住んでいれば村中、山の中なら山中、お寺の前なら寺前、寺院の敷地内なら寺内や寺中、窪地に住んだら久保田や久保など、地形にちなんだ苗字はとても多いです。
それに地名を苗字にしたケースも多くあります。時代劇では悪代官と結託している事が多い越後屋さんですが、先に説明した通り、江戸時代には武士以外には限られた人にしか苗字は許されていませんでした。
しかし、名前がないのでは商売をするうえで不便なので自分の出身国を名乗るようになり、それが越後屋や越前屋、上州屋、伊勢屋のような屋号になっていきます。実際に越前屋という苗字の人は少数存在し、もしかすると子供の頃のあだ名は悪代官だったかも知れません。
また、商人じゃなくても、日本の旧国名である丹波や加賀、薩摩、陸奥、伊勢を屋号としそのまま明治以後には苗字となって、現在まで繋がっている人もいます。
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まとめ
いかがでしたでしょうか?
苗字と姓、屋号について少しでも理解が深められたら嬉しく思います。もし、あなたの知り合いに珍しい苗字の人がいたら、コメント欄で知らせて下さい。
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