「畠山重忠」は平氏打倒と鎌倉幕府創設に主に戦面で大いに貢献し、その清廉さから「模範的な武士」と呼ばれることもある武士です。それほどメジャーな人物ではありませんが、その功績と評判の大きさから、各地に「ゆかりの地」があります。今回の記事ではそんな畠山重忠のゆかりの地を巡りましょう。まずは畠山重忠のプロフィールから。
この記事の目次
鎌倉幕府創設に大いに貢献
畠山重忠は元々は平氏に仕えていましたが、頼朝の挙兵後はこれに従い、その後は様々な戦で活躍しました。多くの逸話を残している人物でも知られ、味方の武将を怪力で放り投げたり、「逆落とし」で有名な「一ノ谷の戦い」では「馬がケガしてはいけない」と、馬を担いで崖を下った、などの逸話を残しています。
清廉な武士として知られていましたが、鎌倉幕府成立後に「北条時政」の婿と揉め、謀反の疑いをかけられてしまいます。
重忠は偽の命令を受けて鎌倉へ向かう途中、大軍に襲われて殺されてしまいます(自害説もあり)。重忠は「模範的な武士」として尊敬され、歌舞伎や浄瑠璃の題材にもなりました。
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畠山重忠をたたえる石碑「畠山重忠公碑」
畠山重忠没後750年を記念して、重忠の本拠地であった埼玉県深谷市の有志によって建てられました。この碑には重忠の功績をたたえる文章が刻まれています。近くには竹が植えられていてこれは「さかさ矢竹」と呼ばれており、これは重忠が死ぬ前に「わが心が正しければ、この矢にてそれを繁茂さえたまえ。」と、2本の矢を地面に突き刺し、この矢は竹葉として年に2本ずつ増えていったそうです。
実際の竹は枯れてしまったようですが、重忠没後800年を記念して再び竹が植えられました。
所在地 横浜市旭区鶴ケ峰本町1-1
アクセス 相鉄線「鶴ヶ峰駅」より徒歩すぐ
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畠山重忠はここで生まれた「畠山館跡」
埼玉県深谷市には畠山重忠が生まれた館の跡と言われている場所があります。そこは現在「畠山重忠公史跡公園」として整備され、園内には重忠の墓と伝えらえる五輪塔や重忠の「産湯の井戸」と伝わる井戸も残っています。園内には「一の谷の戦い」で馬を背負って崖を下った、という故事に基づいた重忠が馬を背負った銅像も建てられています。また、松尾芭蕉は重忠について「むかしきけ 秩父殿さえ すまふ(相撲)とり」と、一句詠んでおり、この句碑が公園に建てられています。
所在地 深谷市畠山510-2
アクセス 秩父鉄道「武川駅」から車で10分
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畠山重忠自ら再興した「満福寺」
埼玉県深谷市にある「満福寺」は鳥羽天皇のころに創建されたと伝えらえる真言宗豊山派の寺院です。後に畠山重忠が再興し、みずからの菩提寺とした、と言われています。重忠の菩提寺として位牌があり、重忠の守り本尊である「千手観音像」、「重忠廟の碑」などがあります。
所在地 埼玉県深谷市畠山931−1
アクセス 秩父鉄道秩父本線「永田駅」から徒歩14分
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重忠での鎌倉の拠点はここ「畠山重忠邸跡」
畠山重忠が鎌倉での執務を行っていたと言われる場所です。現在は建物は残っておらず、石碑が建てられています。石碑が建てられたのは大正時代で、この場所は当時「南御門」(みなみみかど)と呼ばれ、そこに重忠の邸宅があったことが刻まれています。
所在地 鎌倉市雪ノ下3-2
アクセス 「鎌倉駅」から徒歩10分
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畠山重忠が武具を奉納した「武蔵御嶽神社」
東京都青梅市にある「武蔵御嶽神社」は創建が「崇神天皇」(紀元前)の時代と言われるとても由緒ある神社です。古くから関東の霊山として信仰され、特に鎌倉時代には多くの武将から信仰を集めていて、畠山重忠もこの神社に「鎧、鞍、太刀」などを寄進していたと言います。その中でも鎧である「赤糸威鎧」は国宝に指定されています。境内には騎乗した畠山重忠の像も建てられています。
所在地 東京都青梅市御岳山176
アクセス 「御岳山駅」より徒歩25分
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日本史ライターみうらの独り言
以上、畠山重忠ゆかりの地をいくつか紹介してきました。しかし、重忠の史跡、「ゆかりの地」と伝わる場所は全国に200箇所以上あると言われており、それだけ重忠が多くの人の尊敬を集めていたことがうかがえますね。
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