畠山重忠が北条時政に誅殺される原因!特級呪物「惣検校職」とは?【鎌倉殿の13人】

08/09/2022


畠山重忠

 

 

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第34話「理想の結婚」では、これまで北条一門として団結してきた北条時政(ほうじょうときまさ)畠山重忠(はたけやましげただ)がついに断絶します。時政の娘を妻とし義時との繋がりが深い重忠がどうして謀反(むほん)の罪をきせられ誅殺(ちゅうさつ)されるのでしょうか?

 

その最大の理由は重忠が継承していた、たった1つの肩書でした。

 

畠山重忠を滅亡においやる武蔵国留守所惣検校職

畠山重忠を滅ぼす事に成功した和田義盛

 

畠山重忠を滅亡に追いやった呪物(じゅぶつ)とも呼べるその肩書は武蔵国留守所惣検校職(むさしのくに・るすどころ・そうけんぎょうしょく)と言います。

 

※名称が長いので以後は惣検校職と略します。

 

では、そもそも惣検校職とは何を意味するのか?

 

これは武蔵国司が不在の時、国司に代わって武蔵国の行政や軍事を指揮する国司代理を意味します。武蔵国に有力御家人は数多いですが、その中で取り分け畠山重忠が重んじられている理由は、彼が惣検校職に任命されているからでした。

 

鶴岡八幡宮 建物 モブ

 

一方で、北条時政は武蔵守だった娘婿(むすめむこ)平賀朝雅(ひらがともまさ)を京都守護に任命して京都に派遣し、自らが武蔵守になって行政と軍事を握ろうとしますが、惣検校職を握る重忠のせいで二重権力になってしまい、思うように武蔵国の武士団を動員できません。

 

北条時政ら御家人勢力に嫌われていた梶原景時

 

北条氏を鎌倉で唯一絶対の存在にしたい時政は、娘婿である重忠を(うと)ましく感じ、惣検校職を返還するように迫ります。当然、先祖伝来の惣検校職を重忠は返還しません。ここで時政と重忠の対立は決定的になり、畠山重忠の乱が起きてしまうのです。

 

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武蔵国支配の称号 惣検校職

 

実は、惣検校職を争ったのは時政と重忠だけではありませんでした。強力な権限を持ち、武蔵武士団の棟梁(とうりょう)になれる惣検校職は紛争のタネになり、重忠以前から持ち主を転々としていたのです。

 

元々、惣検校職は坂東八平氏(ばんどうはちへいし)の支流、秩父氏(ちちぶし)の当主であった平武基(たいらのたけもと)武蔵国衙別当(むさしこくがべっとう)を務めた事から誕生します。武基は国衙別当として武蔵国に勢力を伸ばし、孫の秩父重綱(ちちぶしげつな)の時代に朝廷より武蔵国留守所総検校職に輔任されました。

 

公家同士の会議(モブ)

 

当初、総検校職は大主(たいしゅ)(一国を支配する大名クラス)と呼ばれ、その後重綱が武蔵国支配を確立するなかで総検校職と呼ばれるようになります。つまり、総検校職を保有する者は武蔵国を制したわけで、この肩書が秩父氏の中で争われないわけはありませんでした。

 

畠山重忠はどんな人?

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はじめての鎌倉時代

 

 

畠山重能に攻められ没落する河越氏

討死する坂東武士(モブ)

 

重綱の死後、家督(かとく)と惣検校職は次男の重隆(しげたか)が継承します。しかし、重綱の(おい)畠山重能(はたけやましげよし)が重隆の家督相続に異を唱え反逆の動きを見せます。ちなみに重能は畠山重忠の父にあたります。

 

 

そこで重隆はこれに対抗すべく、関東に下向してきていた源義賢(みなもとのよしかた)(頼朝の叔父)に娘を嫁がせ武蔵国の大蔵館(おおくらやかた)に迎えます。すると重能は義賢と対立する源義朝(みなもとのよしとも)の息子、源義平(みなもとのよしひら)と組んで久寿(きゅうじゅ)2年(1155年)大蔵館を襲撃、義賢と重隆を滅ぼしました。

 

 

炎上する城a(モブ)

 

滅ぼされた重隆の嫡男の能隆(よしたか)と孫の重頼(しげより)は、拠点を河越に移して河越氏を名乗ります。ただ、この時点でも惣検校職は河越重頼が保持していました。

 

畠山重忠の恨敵三浦義澄

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源頼朝

 

 

強力だった惣検校職の肩書

根っからの武人だったワイルドおじさん三浦義澄

 

平重隆が滅び、秩父氏の主流は畠山氏に取って代わりましたが、それでも惣検校職の肩書がない事で畠山氏は苦労したようです。

 

それが分かるのが、治承4年(1180年)畠山重忠が源頼朝の挙兵に参加した三浦氏の本拠地、衣笠城を攻めた時です。この頃、河越氏の勢力は衰退し、多くの兵士を送り込める立場にはなかったのですが、重忠は特に河越重頼に参加を願っているのです。

 

畠山重忠と険悪だった三浦義澄と三浦義村

 

そして、河越氏が衣笠城攻めに参加すると秩父氏ではない村山党や金子氏のような他の武蔵武士団も従軍しているので、ここには河越氏が所有する惣検校職の力が働いているのではないかと考えられます。

 

武蔵武士団の間で惣検校職の命令は侮れない力を持っていました。この事は重要なポイントです。

 

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源義経

 

 

河越重頼が誅殺され惣検校職は重忠の手に

源義経と源行家の最凶コンビ「反頼朝」を結成

 

河越重頼は富士川の合戦以後、源頼朝に接近、その弟の九郎義経(くろうよしつね)に接近して権勢を振るいますが、平家滅亡後、頼朝は源義経を危険視して謀反人認定。その時、義経と関係が近かった河越重頼と嫡男の重房が連座して誅殺されました。

 

源頼朝に降伏して御家人となる畠山重忠

 

この時、頼朝は河越氏から取り上げた惣検校職を畠山重忠に与えています。重忠の父重能は、頼朝の兄、義平に従い父義朝のライバルだった源義賢を討った人なので頼朝は重忠には好感を持っていました。

 

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北条義時

 

 

武蔵国司よりも強力な畠山重忠

畠山重忠と犬猿の仲だった和田義盛

 

建久4年(1193年)に頼朝は武蔵国で丹党(たんとう)児玉党(こだまとう)の在地勢力が対立した時に重忠に鎮圧を命じています。その頃、武蔵国は平賀朝雅(ひらがともまさ)の父、平賀義信(ひらがよしのぶ)が武蔵国守だったのですが、武蔵武士団を掌握する力がなく頼朝は考えて惣検校職の肩書を持つ重忠に鎮圧を命じたのです。

 

つまり代理国司である惣検校職が国司の権力を上回っていた事になります。畠山重忠は国司でも武蔵守でもありませんが、惣検校職を持つことで事実上、武蔵国の王だったわけです。

 

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鎌倉殿の13人

 

 

特級呪物、惣検校職の肩書に滅ぶ重忠

謀反の疑いで挙兵に追い込まれる畠山重忠

 

しかし、この状況は鎌倉御家人の頂点に立ち、その軍事力を維持するために武蔵国の武士団を動員したい北条時政にとっては極めて不都合でした。そこで娘婿である重忠に対して、惣検校職の返還を求めますが、父の代から求め続けた惣検校職を重忠が手放すはずはありません。

 

北条時政

 

こうして時政は重忠の誅殺を決意し、謀反をでっちあげて畠山一族を悉く滅ぼしてしまうのです。その後武蔵国には、時政の子、北条時房が国司として入りますが惣検校職の肩書は与えられず、次第に名誉職のような扱いになっていきます。

 

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北条政子

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

所有した者が国司を越えて武蔵国の支配者になる惣検校職の肩書。同時にそれは、武蔵国の支配を目論む野心家達の争奪の的になり、敗北した所有者に滅亡をもたらす特級呪物となりました。武士の鑑とされ理性的なイメージの畠山重忠でも惣検校職の万能の力に抗えず、ついに北条氏と衝突する事になり一族を滅ぼしてしまったのです。

 

参考文献:武蔵国留守所惣検校職に就いてー北条執権政治体制成立史の一齣ー 岡田清

 

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カワウソ編集長

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