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源義経はチンギスハンになった?成吉思汗になった説を検証

02/05/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

源義経

 

源義経みなもとのよしつねは、のちに鎌倉幕府かまくらばくふを立てた兄である源頼朝みなもとのよりともと協力して、平氏へいしを打倒した功労者です。

 

激怒した頼朝、義経討伐を命じる

 

平氏へいし滅亡後は義経よしつね頼朝よりともは対立し、最期は義経よしつね頼朝よりともに討伐され、悲劇的な死を迎えました。しかし、奇妙な伝説として「義経よしつねは生き延びて大陸でチンギスハンちんぎすかんになった」という突飛もない説が生まれました。

 

 

源義経のチンギス・ハン説

 

 

今回の記事ではそんな「源義経みなもとのよしつねチンギスハンちんぎすかんになった」という伝説を検証していきましょう。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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源義経の生涯

源義経の幼名は牛若丸

 

 

源義経みなもとのよしつね源氏げんじの棟梁であった「源義朝みなもとのよしちょう」の9男として生まれました。幼名は「牛若丸うしみわかまる」。

 

源義経を匿って養育していた藤原秀衡

 

平治の乱へいじのらん」で父が亡くなった後は、寺に預けられますが、僧になるのを嫌がり、平泉ひらいずみの「奥州藤原氏おうしゅうふじわらし」に身を寄せます。

 

 

源義経の八艘飛び

 

 

後に兄の源頼朝みなもとのよりとも平氏へいし打倒を目指し、挙兵し、義経よしつねもそれに参加します。平氏へいしとの戦いで数々の功績をあげ、「壇ノ浦の戦いだんのうらのたたかい」ではついに平氏へいしを滅亡させます。

 

兄と喧嘩して逃げてきた源義経を匿う藤原秀衡

 

しかし、平氏へいし滅亡後は頼朝よりともと対立、奥州藤原氏おうしゅうふじわらしを頼り奥州おうしゅうに逃げますが、「藤原泰衡ふじわらのやすひら」に攻められ無念の死を遂げます。

 

 

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判官びいき

義経記 書類

 

義経よしつねは戦の天才ながら若くして亡くなり、その悲劇性から多くの人の同情を集めました。そのことから「弱い立場に同情してしまう」ことを「判官はんがん(はんがん、ほうがん)びいき」と呼ぶようになりました。

 

判官はんがん」は義経よしつねの官位です。この判官びいきの流れで、「義経よしつね奥州おうしゅうで死なず、生き延びた」という説が室町時代むろまちじだいくらいから語られるようになりました。

 

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源頼朝

 

 

源義経、北へ渡る

次々と奇跡を起こす天才武将・源義経

 

 

そんな「義経よしつね生存説」のなかでも「義経よしつねは北方の蝦夷地えぞち北海道ほっかいどう)に逃れた」という説が多く語られてきました。特に室町時代むろまちじだいに成立した「御曹子島渡」という物語は、義経よしつねが北へ渡り「アイヌあいぬの王になった」という物語で、あまり知られていなかった蝦夷地えぞちへの関心が深まるにつれて大きな注目を集めていきました。

 

この伝説をもとに、北海道ほっかいどうには義経よしつねを祭る「義経寺よしつねでら」など120を超える義経よしつね関連遺跡があります。そんな「義経よしつね北方伝説」がさらに飛躍したのが「義経よしつねチンギスハンちんぎすかんになった!」という珍説です。

 

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チンギスハンになった源義経

book-Suikoden(水滸伝-書類)

 

この義経よしつねチンギスハンちんぎすかんになった、という伝説は江戸時代えどじだいが始まりだと言われています。この伝説は一部で密かに語られてきましたが、一躍有名にしたのは「沢田源内さわだげんない」という人物が翻訳したという中国ちゅうごくの歴史書に「12世紀のきん(旧満州まんしゅうの国家)の将軍に源義経みなもとのよしつねという者がいた」という記述があったからです。

 

この説がどんどん大袈裟になっていき、明治めいじになると「義経よしつねチンギスハンちんぎすかんになった」という伝説になっていくのです。ただし、「沢田源内さわだげんない」という人物は数々の「偽書」を作った人物で、彼が翻訳した歴史書も偽書説が濃厚です。日本にほんに滞在した学者「シーボルトしーぼると」も論文にこの伝説を取り入れ、逆輸入の形でさらに広まっていきました。

 

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どうして源義経はチンギスハンになったと言われるのか?

チンギス・ハン

 

チンギスハンちんぎすかんは、モンゴル帝国もんごるていこくの初代皇帝で、大陸に大きな領土を築いた人物です。どうして義経よしつねチンギスハンちんぎすかんになった、と言われるのでしょうか?

 

実はチンギスハンちんぎすかんの前半生はあまりよく分かっておらず、とくに青年期は10年ほど何をしていたのか全く分かっていません。
そのチンギスハンちんぎすかんの空白期は義経よしつねが活躍していた時期と重なるため、それを発見した人が「もしかして義経よしつねチンギスハンちんぎすかんになったのでは?」と発想を飛躍させたのでしょう。

 

特にアイヌあいぬ研究者で旧満州まんしゅうも調査した「小谷部全一郎おやべぜんいちろう」という人物が大正時代たいしょうじだいに「成吉思汗じんぎすかん源義経みなもとのよしつね也」という本を出版し、当時の日本にほんの大陸進出の勢いも相まって、大ベストセラーになり、現在までその影響は続いています。

 

元寇

 

 

源義経=チンギスハン伝説は本当か?

源義経のチンギス・ハン説

 

一定いっていの支持を得た「源義経みなもとのよしつねチンギスハンちんぎすかん伝説」ですが、現在では研究が進み、チンギスハンちんぎすかんの前半生もある程度明らかになり、大陸もまったく証拠も残っていないことから、現在では完全に否定されています。しかし、創作物などでは度々この説は現在でも登場し、日本人にほんじんの興味をひく題材となっているようです。

 

源義経

 

 

日本史ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

どうやら「源義経みなもとのよしつねチンギスハンちんぎすかん伝説」はなんの根拠もないようです。ただ、もし本当だとしたら、一人の日本人にほんじんが大陸を席巻したことになるので、それはロマンがあるのかもしれませんね。

 

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はじめての鎌倉時代

 

 

 

 

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みうらひろし

日本史で好きなところは一つの「決断」が大きく世の中を変えてしまうことでしょうか。そんな中でも「決断」にミスをしても、その後復活したりする人物には尊敬をかんじますね。自分もミスしてもあきらめずに過ごしたいものです。
好きな歴史人物:長宗我部盛親、立花宗茂

-鎌倉時代
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