NHK大河ドラマ「どうする家康」、いよいよ織田信長が上洛を果たし、信長の義弟として北近江の大名、浅井長政が登場します。歴史上夫婦仲は良かったとされる長政とお市、その理由は、お互いがバツイチだったからかも知れません。
お市の方は再婚の可能性も
信長の妹とされるお市の方は、天文16年(1547年)に尾張那古野城で誕生したと考えられています。ただし、これは享年37から逆算したもので、誕生について記した史料は見つかっていません。そして、気になる長政との結婚ですが、遅くとも永禄11年(1568年)頃とされ、お市が21歳の時です。ただ、当時大名の娘は13~14歳で嫁に出されていたのでお市のケースは、かなりの晩婚という事になり、そこからお市再婚説が出てきているのです。
こちらもCHECK
-
今週もお疲れ様!秀吉はお市に惚れてはいない理由
続きを見る
茶々はお市の連れ子?
お市は長政との間に3人の娘を儲けたとされ、それぞれ茶々、初、江と名付けられますが、この中の茶々については、「浅井氏家譜大成」を根拠として、茶々はお市の連れ子だったのではないかとする説があります。つまり、お市は一度嫁いで茶々を産んだものの、何らかの理由で離婚し、長政とは再婚だから婚期が遅いという事になるのです。
こちらもCHECK
-
今週もお疲れ様!元祖美魔女「お市の方」
続きを見る
浅井長政もバツイチ?
一方でお市を正室とした浅井長政もバツイチである事が分っています。長政は主筋である六角義賢の重臣、平井定武の娘を正室として押し付けられていました。しかしあからさまな内政干渉に対して、浅井家の家臣の不満が爆発、六角氏の操り人形だった当主の浅井久政を追放して、浅井長政に家督を継がせると平井氏の娘を観音寺城に送り返しています。
この離縁を長政が望んだかどうかは不明ですが、正室を追放しないで、お市を側室として迎えると言う事は、六角氏も織田氏も許さないでしょうから、遅かれ早かれ長政は平井氏の娘と離婚する運命だったのでしょう。
こちらもCHECK
-
戦国大名と子供の関係は?家督争いや肉親を殺さなければならなかった理由
続きを見る
一度目は失敗した縁談
このように、お市も長政も初婚は不幸な結果に終わっていました。実はお市の輿入れも、一度で決まったわけではなく、最初は永禄8年(1565年)に六角義賢が周旋して織田家と浅井家の縁組をまとめようとしますが浅井氏が反対して一度、話は流れていました。しかし、今度は織田氏の側から浅井氏に縁談を持ちかけて話がまとまったのです。
こちらもCHECK
-
浅井長政と武田信玄を比較!しくじり大名は武田信玄に勝っていたかもしれない
続きを見る
離婚を経験したから、お互いを思いやった
お市と長政の結婚した年を永禄11年(1568年)とすると、天正元年(1573年)に小谷城落城で長政が自刃するまで、2人の結婚生活は5年にしかなりません。織田と浅井が険悪になったのは、1570年からですから、結婚して間もなく、お市は敵対する織田から輿入れした姫として、冷たい視線に耐えないといけなくなったのではないでしょうか?
それでも、お市が織田に返される事なく、初と江が産まれたという事は長政がお市を深く愛していて、城内の冷たい視線からお市を庇ったからなのかも知れません。そこには、一度離縁し実家に戻されているお市に、同じ思いをさせたくないという長政の配慮もあったのでしょうか?
こちらもCHECK
-
自らを神だと豪語したのに割と部下になめられていた織田信長
続きを見る
日本史ライターkawausoの独り言
当然ですが、バツイチ同士の結婚が必ず上手く行くというわけではありません。しかし、離婚を経験する事で、お互いが以前犯した失敗を反省し、相手を思いやり、尊重する態度を持ち続けるのなら、同じ傷を持つ者同士、上手くやっていけるのではないでしょうか?
こちらもCHECK
-
織田信長は第六天魔王と名乗ってない?フロイスの聞いた噂が魔王信長と由来になった
続きを見る