鎌倉殿の13人ネタですけど、義経は2人いたという話があります。二人静ならぬ二人義経ですね。もう1人の義経は山本義経という名前で河内源氏ではなく近江源氏でサムライのカリスマである源義家の弟、新羅三郎義光の4代の後裔です。
つまり、こちらも源氏で源義経であるという事ですね。経歴は、なかなか派手で延暦寺の坊主を殺害して佐渡に流され、1180年に罪を許され帰郷。そこから各地の源氏旗上げに呼応して弟の柏木義兼ら近江源氏とともに挙兵。水軍で琵琶湖を抑え熱田に浮橋を浮かべて北陸からの年貢を差し止めます。さらに近江勢は三井寺に討ち入り京都を騒然とさせました。
その後も平家相手に奮戦しますが、頼朝ではなく木曾義仲の入京に呼応したのが運の尽き1184年1月20日に宇治川で義仲と共に源義経、範頼の軍と戦い大敗しその後記録から消えます。奇しくも九郎義経と入れ替わるように歴史から消えた山本義経もし、頼朝方に与していたら「どっちの義経?」とさぞかし面倒な事になったでしょうね。