日本史の授業で習う日清戦争と日露戦争、時期が近い事もあり、この2つの戦争の目的を混同してしまう人も多いのではないでしょうか?
そこで今回は近代日本最初の対外戦争、日清戦争について簡単に分かりやすく解説します。
日清戦争の原因
では、日清戦争の原因は一体なんでしょうか?それは、朝鮮半島を清帝国の影響力から分離して独立させる事でした。どうして、日本と関係がない朝鮮半島の独立を計る必要があったのかと言うと、当時、南下を開始していたロシア帝国の脅威に対抗する為です。
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凍らない港を求めるロシア
ロシアには強大な軍艦と海軍力がありましたが、ロシアは寒く冬になると港が凍結し海軍の展開が難しい状態にありました。そのため、ロシアの悲願は冬でも凍らない不凍港を手に入れる事であり、ユーラシア大陸の東と西で不凍港を求めて触手を伸ばしていたのです。
このロシアが南下して朝鮮半島に支配を及ぼし、強力な艦隊を配置すると近代化に必要な物資を輸入に頼る日本はシーレーンをロシアに握られ戦わずに敗北します。日本としては、ロシアが南下する前に朝鮮を独立させ条約を結んで日本軍を駐屯させる必要があったのです。
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どうして清朝と戦うの?
しかし、ここで疑問を持つ人もいるでしょう?
「なんでロシアが脅威なのに清朝と戦う事になるの?」
そう!ここが日清戦争の分かりにくい点なのです。これを読み解くには、中華王朝を中心に長い間敷かれていた冊封体制を理解する必要があります。
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頼りにならない清朝
歴代中華王朝は、2000年以上前から周辺国に対し偉大な中国に対して、頭を下げよ貢物をもってこいと呼び掛けていました。
清朝もこの制度を継承していて、ベトナムや琉球やカンボジア、李氏朝鮮などが冊封体制に加わっていましたが、19世紀も後半に入ると西洋と日本の帝国主義が勢力を伸ばしベトナム、カンボジア、琉球が植民地化していき唯一残るのが李氏朝鮮だけになります。
清朝が強ければロシアにも対抗できるのですが、アヘン戦争以後、清朝の弱体化は著しく、とても朝鮮半島をロシアから守れる状態ではありませんでした。それでも清朝は唯一残る属国李氏朝鮮に固執、朝鮮半島を巡り日本と激しく対立する事になります。
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甲午農民戦争
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894年、朝鮮半島で宗教団体東学党を主体とする甲午農民戦争が勃発。李氏朝鮮政府は自力で反乱を抑える事が出来ず最初に清朝に救援を要請。日本も天津条約に基づき、朝鮮国内の日本人居留民保護を名目に出兵しました。
朝鮮政府は日本の出兵に慌て、国内で清朝と日本が衝突する事を回避しようと急いで東学党の要求を入れて和睦。清朝と日本に撤退を求めます。
しかし日本は、反乱は収まっていないとして、安全保障の為の内政改革を朝鮮政府に求め、清朝にも同意を求めますが清は提案を拒否、し無条件で日清両国が撤退する事を提案。結局、清朝と日本の間の溝は埋まりませんでした。
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開戦
日本はイギリスと交渉を重ね、イギリスが中立を貫く事を確認すると朝鮮王宮を占拠。国王高宗に朝鮮独立の意志表示と清国兵を追い払う依頼を引き出して大義名分とすると、ソウル市内から清国駐留軍を追い出し、8月1日に宣戦を布告します。
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核心は渤海・黄海の制海権
日本は明治27年8月から朝鮮半島北上を開始し、清国陸軍を撃破しつつ9月中に朝鮮半島を制圧。
次に鴨緑江を越えて明治28年3月上旬までに遼東半島をほぼ制圧しました。海軍は明治27年9月黄海海戦に勝利して清国北洋艦隊を撃破し、陸軍上陸のための海上補給路を確保。
明治27年11月、陸軍は遼東半島の旅順港を占領、明治28年2月には陸海軍が共同で山東半島の威海衛を攻略し日本軍は黄海と渤海の制海権を掌握します。
日清戦争の戦いの核心は日本海軍が黄海と渤海の制海権を得ることでした。
渤海の先には北京の玄関口である天津があり、ここに日本の近代化した陸軍を送り込めれば北京も天津も迎撃する戦力はなく一気に交戦意識が低下したのです。明治28年の3月に交渉が始まり、4月17日には講和が成立し日清戦争は終結しました。
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講和条約
清との講和において日本は台湾及び遼東半島、澎湖諸島を領有します。また、李氏朝鮮独立を確認した事で朝鮮半島は清朝の冊封体制から分離されました。さらに賠償金として清朝より2億両が支払われ、日本が軽工業国から重工業国へ変化する重要な資金になります。
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三国干渉
日本が北京に近い遼東半島を得た事に対し同じく中国への領土的野心を持っていた、ロシア、ドイツ、フランスが危機意識を持ち、共同で日本に対し遼東半島の返還を要求します。
当時の日本の国力では三国の圧力に対抗する事は出来ず、期待していたアメリカやイギリスも中立を標榜したので遼東半島の放棄を決定しました。国内輿論は武力を背景にした三国干渉に憤り、今は苦境を受け入れ力を蓄えて必ず逆襲するという意味の「臥薪嘗胆」の故事を引いて耐える事になります。
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日露戦争の火種
三国干渉後、西洋列強は清朝への領土的野心を隠さなくなり、お金を貸して領土や権益を借りるという方式で清朝の領土を切り取っていきました。
特にロシアは日本に放棄させた遼東半島の南端の旅順・大連を清朝から借り受ける事に成功し、黄海艦隊を派遣して不凍港を手に入れる事に成功します。
朝鮮半島を独立させ、軍事力を大陸に向ける事が可能になった日本は、本格的な極東支配を目論むロシアに対して警戒感を強め、明治37年の日露戦争への導火線に火がつけられる事になりました。
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日本史ライターkawausoのまとめ
日清戦争はロシアの南下政策でシーレーンを抑えられる危機を感じた日本が朝鮮半島を清の冊封体制から切り離して独立させ、大陸に兵力を展開できるようにする目的で開始されました。
戦争に勝利した日本は、朝鮮を清朝の影響から切り離し、さらに遼東半島を得る事でロシアが朝鮮半島に影響を及ぼす事を阻止しようとしますが、三国干渉で遼東半島は廃棄を余儀なくされ、ロシアは清朝との交渉で遼東半島の南端に旅順と大連を獲得。アジアへと進出していきます。
安全保障を脅かされた日本はロシアの勢力を追い払う為に、日露戦争へと突き進む事になりました。
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