日本人はもちろん日本好きの外国人にも有名な坂本龍馬。海援隊や薩長同盟の仲介、大政奉還など、信念と圧倒的な行動力で新時代の日本を切り開き、幕末の日本を駆け抜けました。そんな坂本龍馬ですが、功績の他に数々の伝説を残しています。今回は坂本龍馬の伝説をご紹介します。
この記事の目次
坂本龍馬のプロフィール
・1836年1月3日生まれ
・1867年12月10日(31歳没)
・家族構成
父(八平)、母(幸)、兄(権平)、姉(千鶴、栄、乙女)
坂本龍馬は土佐藩郷士の家庭に生まれます。郷士なので、身分は低かったのですが、坂本家は豪商才谷屋の分家だったので、才谷屋から多額の財産を分与されており、非常に裕福な過程で育ちます。龍馬は末っ子で年が離れていたせいか、可愛がられて育ちました。
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坂本龍馬の伝説
坂本龍馬には、教科書には載らないいくつかの伝説があります。坂本龍馬は、行動力があり、何事にも動じなく、ずっしりと構えているとイメージするかもしれませんが、これから紹介する伝説を知ると、龍馬に対するイメージが180度変わってしまうかもしれれません。それではさっそく、ひとつずつ確認していきましょう。
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龍馬は幼少期は落ちこぼれだった
実は龍馬は幼少期は泣き虫で落ちこぼれでした。龍馬が生まれた頃はきょうだいは乙女以外皆大人で可愛がられて育ってきたせいか、虚弱でマイペースでした。そのせいで、周りからは、「よばあたれ(寝小便たれ)」、「あまのん(女みたいなやつ)」とからかわれていました。
2歳の頃から通い始めた楠庄之助の塾は、諸説ありますが、塾生と揉め事をして退塾させられてしまいます。新しい日本を作った龍馬が幼少期は落ちこぼれだったなんて意外ですね!
ですが、剣術に関してはみるみる上達していき、日根野道場で小栗流を学び、「小栗流目録」を皆伝、千葉道場で北辰一刀流を学び、「北辰一刀流長刀兵法目録」を皆伝するほどの腕前でした。
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友達の家に毎回立ちションする坂本龍馬
龍馬はおねしょが治らなく、諸説ありますが、13歳頃まで続いたそうです。そして、剣術友達である武市半平太の家に遊びに行くたびに、帰り際に玄関の門に向かって立ちションをしていました。
半平太の奥さんはやはり不快に思っていたので、龍馬に辞めさせるよう、半平太に言ったのですが、半平太は龍馬を大物視していたので、止めなかったそうです。
坂本龍馬が日本人で最初に経験した伝説
坂本龍馬は功績・珍エピソードともに日本人で最初に経験した伝説がいくつかあります。
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日本人で最初に新婚旅行
新婚旅行に行くきっかけとなったのは、1866年1月23日の寺田屋事件です。1864年8月、龍馬とおりょうは結婚しています。この日龍馬は京都の寺田屋に宿泊していましたが、伏見奉行所の役人に襲撃されます。その時異変に気が付き、入浴中だったので裸のまま、いち早く龍馬に危険が迫っていることを知らせ、刀傷を負ったものの、脱出に成功しました。
その後、おりょうが付きっきりで龍馬の看病をし、養生がてら、鹿児島の塩浸温泉(霧島温泉)に行ったことが、新婚旅行と言われています。
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日本人で最初に水虫になる坂本龍馬
坂本龍馬は流行に乗るのが好きで、海外からブーツが流入してきていたので、龍馬もブーツを履いていました。当時の日本人は下駄や草履を履いていたので、水虫になることもありませんでしたが、ブーツを履いて蒸れていたので、日本人初の水虫になったと言われています。
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日本人で最初の商社設立
坂本龍馬は1865年の夏頃「亀山社中」と呼ばれる商社を設立しました。「亀山社中」は1866年に長州藩のために薩摩藩名義で大量の武器や蒸気船ユニオン号の購入と運搬を行い薩長の仲介に貢献しました。ちなみに「商社」という言葉は当時はまだ存在していなく、1955年頃から使われるようになりました。
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日本人で最初の株式会社設立
坂本龍馬は、1865年に「海援隊」と呼ばれる株式会社を設立しました。武器や軍艦などの兵器を薩摩藩名義で長州へ流すなどの斡旋をして、薩長の仲介に貢献しました。
海援隊は後に後藤象二郎が土佐商会とし、岩崎弥太郎が九十九商会・三菱商会・郵便汽船三菱会社・三菱商事などに発展させました。
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