幕末に日本を訪れた西洋人は、日本人は背が低いと記録に残しています。
しかし、戦国時代には、同じ西洋人が日本人は立派な風采であると記録していて、どうやら戦国時代に比較して、日本人の平均身長は縮んでいるようなのです。
でも、現代に近い江戸時代の人々の背が低く、それよりも遠い戦国時代の日本人の背が高いって不思議ですよね?そこで今回は江戸時代日本人の平均身長について調べてみました。
この記事の目次
江戸時代の平均身長はどのくらい?
江戸時代の人々の平均身長は墓地などから発掘された人骨、主に大腿骨の長さから推定されます。計算方式は様々でサンプルの採り方で多少の誤差はありますが、平均すると男性が155~158センチ、女性は143~146センチの範囲内で収まります。
現在の平均身長から考えると、12センチから10センチほども身長が低かった事になります。
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江戸時代の人々の身長が低い理由
江戸時代の平均身長は身分と無関係に低くなっています。それも、過去二千年の日本の歴史で一番身長が低いのが江戸時代だそうです。どうして、現代に近い江戸時代の人々の平均身長が低いのでしょうか?
原因は1つではないようですが、一番大きい理由として、江戸時代には仏教の影響であまり肉を食べなかったので、動物性たんぱく質が不足し骨の発達が促されなかったとも言われています。
そうだとすると、戦後、食の欧米化が進んだ日本で平均身長が急激に伸びた事と辻褄があいますね。
もうひとつの理由として、江戸時代は農民が土地に縛りつけられ、好きな土地に住む事は出来なかったので、比較的近い土地で通婚が繰り返され身長が低い男女が結婚し、子孫の身長がさらに低くなるという循環が繰り返されたとする説もあります。
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江戸時代の人々の体格は貧弱?
平均身長は過去2000年で一番低い江戸時代の日本人ですが、体格はガッシリしていて、現代人よりも筋肉質だったようです。なぜ、平均身長が低いのに体は筋肉質なのか?これは体内で起きるオートファジーが原因ではないかと考えられています。
オートファジーとは体内で必要なアミノ酸などが枯渇した時に、一時的に細胞内のたんぱく質を分解してアミノ酸やペプチドを生産する事で栄養不足から来る、細胞のガン化を防ぐと言われています。
江戸時代は、現在に比較すると栄養状態が悪かったのですが、オートファジーのお陰で少ないたんぱく質を効率的に使用して筋肉質の肉体を造っていたようですね。
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江戸時代の著名人身長ランキング
たかが身長、されど身長で、やはり人間背が低くて見下ろされると、どうしても気圧されてしまうものです。と言う事で江戸時代の著名人の身長を紹介しましょう。
山岡鉄舟 | 187センチ |
大久保利通 | 183センチ |
武市瑞山 | 183センチ |
西郷隆盛 | 180センチ |
西郷従道 | 172センチ |
長曾我部信親 | 180センチ |
大塩平八郎 | 160センチ |
坂本龍馬 | 169センチ |
勝海舟 | 156センチ |
桂小五郎 | 174センチ |
久坂玄端 | 180センチ |
高杉晋作 | 150センチ |
土方歳三 | 167センチ |
徳川慶喜 | 155センチ |
井上馨 | 157センチ |
徳川吉宗 | 155~180センチ |
佐久間象山 | 175センチ |
河上彦斎 | 150センチ |
井伊直弼 | 162センチ |
篤姫(天璋院) | 160センチ |
明治天皇 | 162センチ |
清水次郎長 | 156センチ |
桐野利秋 | 170センチ |
キリがないのでこれくらいにしておきますが、映画やドラマで主役をはる西郷や大久保、坂本龍馬、土方歳三などは、当時の平均身長を超えている事が分かります。
体が大きいとハッタリも効きやすいし、立派にも見えるので信用が得やすいのかも知れませんね。
また、薩摩人が男女とも平均的に背が高いのは、米が取れない土地で副食としてサツマイモや豚肉を食べていた、つまり肉食を嫌悪しない土地だった事もあるようです。
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古代日本人の平均身長はどのくらい?
実は、現代に次いで日本人の平均身長が高いのは古代の古墳時代だそうです。諸説ありますが古墳時代の平均身長は、男性が163センチ、女性が152センチで江戸時代よりも5センチも高くなっています。
古墳時代の人々の平均身長が高い理由としては、農耕が始まり米を食べると同時に、まだ仏教が一般化していないので肉食もしていた事が挙げられます。また、特質すべき理由として、この時代中国大陸は南北朝の動乱期で多くの人々が戦乱を避けて日本に渡来して帰化していきました。
大陸人の身長は、当時の日本人よりも高いので混血が起きた結果として日本人の平均身長も高くなったという事のようです。
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日本人の平均身長はどうして伸びた?
日本人の平均身長は第二次大戦前の1939年で男性165センチ、女性153センチでした。それが2000年代に入ると男性が170センチ、女性も160センチと急激に伸びています。
60年余りで身長が急激に伸びた理由として動物性たんぱく質を多く摂る食の欧米化がありますが、平和な時代が70年以上続いたという事も大きいようです。
それというのも、身長は10代から20代にかけてが一番伸びるので、この時期に戦争が起きたりすると食糧不足が起きて成長が停止し、その後、食糧事情が改善してもほとんど伸びる事はありません。
つまり、親、子、孫の世代にわたる70年間の平和が育ち盛りに食糧が欠乏する危機を遠くへ押しのけ、戦後、日本人の身長を急激に伸ばしたと考える事も出来ます。
また、公共交通の発達で日本全国が時間的に近くなった結果、昔では考えられないほど遠くから結婚相手を探す事が普通になり、江戸時代とは逆に高身長の遺伝子が入りやすくなったという可能性もあります。
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日本人の平均身長はこれから縮む?
さて、食の欧米化により、今後も伸び続けてアメリカ人のような高身長になりそうな日本人の平均身長ですが、実際には逆に縮んできているそうです。
日本人の平均身長は、1978年から1979年生まれを境に少しずつ低くなっています。しかし、栄養状態が悪くなったわけでも、食生活が急に変化したわけでもないのに、どうして日本人は再び縮み始めたのでしょうか?
これについては、日本においては高身長の遺伝子を持つグループが淘汰され、低身長の遺伝子を持つグループが生き残る可能性が高いからとする研究があります。
この傾向は欧米とは全く逆で、日本では背が高いより低い方が生き残る確率が高くなる事を裏付けています。
では、どうして日本では背が低い方が生存に有利なのか?
この点については明確な答えが出ていませんが、遺伝子的に背が高い人はガンになりやすく、逆に背が低い人は心疾患になりやすいとするデータが出ているようです。
とはいえ、さすがに江戸時代レベルまで身長が低くなる事はなさそうですが、
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日本史ライターkawausoの独り言
以上、江戸時代の日本人の平均身長を見てきました。
背が低いよりは高い方がいいですが、日本は遺伝子的に高身長になる遺伝子を持つ人が不利になる土地で、そのために欧米に比較すると背が低い人が多いというのは意外でしたね。
でも、その分、日本人の高身長への憧れは、持続し続けるのかも知れません。
参考:
片山一道(2015)「骨が語る日本人の歴史」ちくま新書
渡辺京二「日本近世の起源」 洋泉社新書
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