源頼朝、そして北条政子。鎌倉時代を開いた男であり、その男を隣で支えた妻でもある二人。この二人の凄い所は、何よりもその結婚が「恋愛結婚」であるということ。あの時代ということを考えると、とんでもなく凄いことなのでございます。
今回はそんな二人の思い出の土地、二人の縁結びの霊験あらたかと言われる神社をご紹介させて頂きましょう。
この記事の目次
源頼朝、北条政子の二人のなれそめ
まずはちょっと源氏のトップご夫婦、源頼朝と北条政子のなれそめから。吾妻鏡によると、この二人の仲を北条時政は猛反対していたようで。一度は引き離されたようですが、それは物理的な距離だけのお話。
北条政子は「暗夜をさ迷い、雨をしのいで」愛する人、源頼朝の元に走ったと言われています。これによって二人は結ばれた、当時としてとてもとても珍しい恋愛結婚なのでございますね。
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二人が愛を育んだ神社、伊豆山神社
さて愛する二人、一目惚れから速攻察知されて引き離された訳ではございますまい。恐らく、北条時政の目を盗んで愛を育んでいた、と言われています。そしてこの二人が当時、愛を育んだ、また同時に源頼朝が源氏復興を祈願したとされる場所があります。
それこそが、伊豆山神社。静岡県熱海市に、今もなお祀られている、神社なのです。この伊豆山神社、少し紹介していきましょう。
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伊豆山神社は縁結びのハートが見られる神社!?
この伊豆山神社では、御祈願をすることができます。もちろん源頼朝が平家打倒を願ったように心願成就でもよいですし、商売繁昌、社運隆昌なども御祈願することができます。
しかしここで話題を読んでいるのが、源頼朝と北条政子の愛を育んだ神社……現代風に言いますとデートスポット、ということで、良縁や恋愛成就の御祈りをする方も多いようです。境内にはハートの心結びも見れますよ!
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伊豆山には赤白二龍交和の伝説もあり
そしてもう一つ、この伊豆山神社には龍の伝説もあるようです。
「当伊豆山神社の地下に赤白ニ龍交和して臥す」
赤と白、紅白、と言われるだけでも日本人の印象からするとかなり良いイメージが湧いてきますが、更には二匹の竜。この二匹の龍の赤い方が母龍、白い龍が父龍とされ、二匹の龍は夫婦とされているようです。これによって、縁結びの加護があると考えられて来たのではないでしょうか。
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二匹の龍の交和と縁結び
まず、交和とは、直接的に言うと交わること。二つのものが良く馴染み、混ざりあうことです。これは「交」の文字からも良く分かりますね。
そして「和」という文字には、それそのもの自体が「仲良くすること」「相手を大切にすること」という意味も含まれています。二匹の男女の龍、夫婦の龍の交和によって恋愛成就だけでなく、家内安全、夫婦の円満も含まれているということですね。
紅白のイメージと、縁起の良さに付いて
もう一つ、紅白についてもちょっと触れてみましょうか。元々「紅白」って良いイメージがありますよね。それもそのはず、この紅白の色合いはおめでたい日の「赤飯」と「餅」の色から来ていると言われています。
同時に、赤は赤ん坊、白は亡くなった時の白装束を意味しているとも言われ、つまり「生まれる」から「亡くなる」まで、人の一生を意味しているともされています。このことから、紅白は縁結びの上で「これからの人生を共にする」という意味合いも含まれていると考えます。
紅白の龍は伊豆山神社でたくさん見ることができるので、ぜひ探してみて下さい。
源頼朝と北条政子、二人の深い愛の結びつき「伊豆山神社」
更に、境内には有名な「腰掛け石」もあります。これはその名前の通り、腰を掛けるための石。源頼朝と北条政子は、デートの際にこの腰掛け石に座ってお互いに愛を語り合ったとされているのです。
こうして愛を育んだ二人は、引き裂かれてなお結ばれ、そして困難を乗り越えて鎌倉時代を作るに至りました。それが現代の人々の願いの場になっていると考えると、何とも運命を感じる瞬間ですね。
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鎌倉ひよこライター センのひとりごと
さて最後にちょっと触れますと。源頼朝と北条政子、特に源頼朝と言えばどうにも女性関係がよろしくないようなイメージを抱いてしまいますが。どちらかというとあの時代はそれが当然のことであったのです。
しかしその時代においても北条政子は嫉妬深く、また源頼朝は隠れて浮気をする、そんなエピソードがあります。
これを見方を変えてみれば、北条政子は愛情深く、源頼朝もそんな妻に気遣いをしていたということ。そう考えると、割とこの二人の夫婦、確かに愛情があったのだな、なんて思う筆者でした。ちゃぽーん。
参考:
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