NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」こちらのドラマを注意深く見ていると、あちこちに夢のお告げというキーワードが出てきます。
頼朝は頻繁に後白河法皇の生霊を夢か現の間に目撃しますし、八重姫と北条政子は夢枕に逃亡中の頼朝が立ったと言い合い、最初にどちらの夢枕に頼朝が立ったかで女同士、意地の張り合いをしていました。
実際、平安末から鎌倉にかけての夢とは現在の荒唐無稽な夢とは意味合いが大きく異なり、人々は夢のお告げを本気にしていたというのです。
夢を本気で信じていた平安の人々
現在では夢で宝くじが当たったからと言って本当に宝くじを買う人はあまりいません。
また、夢の中で人殺しをしたからって、俺は人を殺すかも知れないと本気で怯える人はいないでしょう。むしろ、宝くじがあたる夢や殺人の夢にどんな意味があるのか深層心理の解説サイトを検索して確かめたいと思うかも知れません。
しかし、平安末から鎌倉時代の人々は夢を荒唐無稽なでたらめや精神状態の反映とは考えず、やがて現実になるものと信じて恐れていたようです。例えば鎌倉時代初期の僧侶、明恵上人は、19歳の頃から晩年の58歳まで40年もの間、自分が見た夢を紙に記録し続け、それは夢記というタイトルで現在まで伝わっています。
明恵上人は、夢には必ず意味があり、自分の人生に影響を及ぼすと強く信じていて、どんなに荒唐無稽な夢でも、バカバカしいと一笑に付さずに記録をつけていました。
日本全国に流布する「夢買い長者」という昔話では、佐渡のお寺で白い花をつける木の下を掘ると小判が入った壺が出てくる夢を見た年寄の農民から若い農民が夢を買い取り、すぐに佐渡に渡って寺男になり、辛抱の末に木の下に埋まった小判を掘り当て長者になった話が伝えられています。
平安の人々は夢が現実になると信じていたのです。
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夢は聖なる世界と異世界を繋ぐ回路
平安時代の夢には2つの意味がありました。1つは聖なる世界への入口で、もう1つはこの世界と平行に存在する異世界への入口です。
聖なる世界とは仏や神の世界で、豊臣秀吉の伝記には、秀吉の母のなかが、夢の中で太陽を飲み込む夢を見て懐妊し生まれたのが秀吉で、ゆえに日吉丸とつけたという話があります。
また、お釈迦様の母である摩耶夫人はお腹の中に象が入る夢を見てお釈迦様を懐妊しました。そして月が満ちてお釈迦様は摩耶夫人の腋の下から生まれるのですが、象がお腹の中に入る夢より、腋の下から子供が生まれる方が衝撃的だと思いませんか?
また、異世界とは鬼や妖怪がうごめく異形の世界を意味していました。聖なる世界と俗世と異界は、夢を回路として通じていると考えられていたわけです。
眠る事で夢のお告げを聞こうとした人々
夢が現実の延長線にあった平安時代、人々は物詣と言い観音を祀る霊場に頻繁に参詣しました。しかし、ここからが変わっていて、人々はお参りを済ませると帰るのではなく、御堂の周囲に筵や畳、几帳を広げてそのまま寝てしまうのです。
観音のお告げは夢を通して与えられると考えられていたので、人々は積極的に寝て素晴らしい夢のお告げを得ようと考えたのでした。また、当時は忙しくて観音堂に参詣できない人に代り、夢を見てくれる夢見法師という職業があり、また夢見法師の見た夢を陰陽師が解読して客に伝える商売もありました。
さらには、客が見た悪夢を買い取り悪い事が起きないようにする商売もあったそうです。実体がない夢を売買する事自体、当時の人々がいかに夢を信じ、恐れていたかを裏付ける証拠と言えるでしょうね。
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北条政子が買った夢
さて、鎌倉殿の13人にも登場する北条政子にも夢にまつわる話があります。ある時、北条政子の妹が高い山に登り着物のたもとに月と日を入れ3つの橘の実のついた枝を頭の上に置いている夢を見ます。
妹が夢から覚めて、政子に奇妙な夢の話をすると政子は「そんな尊い夢は逆に凶で災難を知らせる夢」だと答えました。
うろたえた妹が、どうすればいいだろうと政子に言うと「あわてる事はない。凶夢は人に売れば禍を防ぐ事が出来る。なんなら私が買ってあげようか?」と言い、妹が前から欲しがっていた鏡を与え夢を買いました。
もちろん、その夢は吉夢であり、やがて政子は頼朝に見初められ鎌倉幕府の尼将軍として北条家を繁栄に導くのです。
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日本史ライターkawausoの独り言
いかがだったでしょうか?
平安時代末、夢は荒唐無稽なでたらめではなく、現実に起こる出来事の予兆と考えられ、その威力は絶大なものがありました。大河ドラマの中で頼朝が後白河法皇の生霊を見て、その後、後白河法皇の院宣を手に入れこれは本物だと信じて挙兵したエピソードは夢にすがったのではなく、当時の感覚では勇気百倍の出来事だったのです。
こう考えると、鎌倉殿の13人も少し変わった角度から見る事が可能ですね。
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