NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」その第五話「兄との約束」では堤信遠を討ち取った北条時政が、うつぶせに絶命した信遠の首に刀を押し当て右足に体重を乗せて首を切断するグロテスクな場面が再現されました。そこで疑問ですが時政の首切断方法は歴史的に正しいのでしょうか?ちょっと調べてみました。
首を獲るバリエーションは複数ある
敵の首を獲って確かに殺害した証拠とするのは平安時代の中期には存在した習慣でした。天皇や公暁から賊の討伐を命じられた武士は、賊の首を切断し平安京に送り込む事で任務完了としていたのです。
武士が獲った賊の首は検非違使に引き継がれ獄門にかけられて見せしめとされます。朝廷としても「朝敵となればこうなるぞ」と人々を脅す上で、生首は格好のPRの材料でした。
そんなわけで武士は手柄の証として敵の首を獲るのが習わしになりますが、一口に首を切断すると言っても、生きている敵を組伏せて強引に首を獲るのか、観念した敵の首を刎ねるのか、すでに死んだ敵の首を斬り落とすのでは、やり方に違いがありました。
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死んだ敵の首を獲る場合
死んだ敵の首を獲るのは、相手が抵抗しないので一番簡単です。やりかたは色々あるでしょうが、鎧を着ていて、しゃがむのが面倒なら刀の切っ先を首の少し手前に突き刺して、裁断機で紙を切るように刀身に体重を乗せてへし切ります。
ただ、人間の首には頸椎という七つの骨があるので、この骨と骨の隙間を狙って刀を入れないと骨にかかって一発では首が落ちません。しかし、時間さえかければ刀じゃなくても家庭にある文化包丁でも首を斬り落とす事は出来るそうです。
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暴れる敵から首を獲る場合
では、暴れる敵から首を獲る場合にはどうするのでしょうか?この場合には、まずは相手を地面に叩き伏せる事が必要となります。敵を仰向けにして組み伏せて馬乗りになり、相手の利き腕を右足で抑えて動かなくし、まずは脇差で敵の喉笛をかき切って絶命させます。
次に脇差を持ち替え、兜の眉庇の裏面に添えて打った見上げの板と呼ばれる薄い鉄板を外して首を掻き切るのだそうです。
敵が兜をかぶっていない時は、烏帽子を取って髻(ちょんまげ)を掴んで引っ張り、首を上げさせて脇差で首をスパッと斬り裂いて失血死させます。首を斬り裂いた瞬間、頸動脈から血がブシュっと吹きだし凄惨な光景なる事が絵巻物などから分かります。
この後は、死んだ敵の首を獲る手順とほぼ同じです。
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単独で首を狙うのは危険
しかし、生きている敵から単独で首を獲るのは賢明ではありません。
敵に馬乗りになり首を斬ろうとしている瞬間は、首を獲る側も無防備だからです。
実際に小牧長久手合戦絵巻には、敵に馬乗りになり首を獲った武者が背後から別の武者に首を刺され絶命しているシーンが描かれています。
そのため、実際には生きている敵の首を獲る際には単独ではなく複数の人間が一斉に襲い掛かり役割分担をして首を獲っていたようです。鎌倉殿の13人でも堤信遠を討つのに、時政、宗時、義時の3人が関係していましたし、時政が首をへし切る時には、腰が引けていたとはいえ義時がそばにいました。
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落馬した敵将の首は斬りやすい
基本的に生きている敵の首はいきなりは狙わないものですが、例外もあります。それは乗馬している武者が落馬した場合です。
特に平安から鎌倉の上級武士の鎧は大鎧と呼ばれる豪華な鎧で防御力も高いのですが、重量も相当ありました。それでも馬上にいる間は鎧の重量は馬が背負ってくれていますが、落馬すると鎧の重さで大ケガをしたり、ケガをしなくても鎧の重さで起き上がる事が出来ず、ひっくり返った亀のようにジタバタする事になります。
このような敵は、生きてはいてもろくろく動けない良いカモであり、すぐに馬乗りになって動きを塞ぎ、首を獲る事も出来たのです。
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日本史ライターkawausoの独り言
今回は鎌倉時代の敵の首獲りについて書いてみました。
首獲り作法そのものは、平安時代には確立していて鎌倉も戦国も大差はありませんが、実際には暴れる敵から強引に首を獲るケースはあまりなく、絶命させ動かないようにして後に、おもむろに首を切断したケースが一番多いようです。
それが一番安全だし確実ですからね。ただ、それでは絵巻物にしても面白くないので、脚色として強引に敵の首を獲りにいく勇壮な武者を描いたのでしょう。
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