平盛綱(鶴丸)とはどんな人?子孫は鎌倉幕府を牛耳るって本当?【鎌倉殿の13人】

20/11/2022


 

コメントできるようになりました 織田信長

坂東武士A(モブ)

 

平盛綱(たいらのもりつな)は鎌倉時代初期に活躍した武士で、執権北条氏の御内(みうち)として家令(かれい)(執事)を勤めました。大河ドラマ鎌倉殿の13人では戦争孤児の鶴丸(つるまる)として登場し、将軍ではなく義時や泰時に忠実に仕える盛綱ですが、彼の子孫は鎌倉幕府を牛耳るほどに急成長していくのです。

 

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ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

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おとぼけ(田畑 雄貴)

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父は平資盛の子とされるがハッキリしない

NHK大河ドラマ 平清盛風

 

平盛綱の父は、平清盛の子、重盛(しげもり)の次男資盛(すけもり)であるとされています。

 

平重盛は清盛の後継者と目され、その嫡男の維盛(これもり)、次男の資盛も伊勢平氏の後継者として扱われていましたが、清盛の継室、平時子(たいらのときこ)の妹や娘が後白河天皇や高倉天皇に嫁ぐと、時子との間に生まれた平宗盛(たいらのむねもり)平知盛(たいらのとももり)が後継者として目されるようになります。

 

熱病に臥せった平清盛

 

 

さらに、重盛が清盛より先に死去すると重盛の家系は没落し、宗盛が棟梁(とうりょう)となった平家一門からも冷遇されるようになりました。資盛は都落ちし源頼朝と徹底抗戦しようとする平家一門とは違う動きを模索しようと画策しますが、運命には逆らえず壇ノ浦の戦いで敗れた後、海に身を投げて自殺したとされています。(異説あり)

 

平家を滅ぼした最大の功労者・源義経

 

 

平盛綱は、この資盛の子や曾孫(ひまご)とされていますが確かな証拠はないようで、北条氏に古くから仕える郎従ではないかという説もあります。

 

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最初の登場は承久の乱から

日本史上屈指の名宰相・北条泰時

 

 

平盛綱が最初に登場するのは幕府の公式歴史書「吾妻鏡(あづまかがみ)」で、承久の乱で北条泰時に従って上洛した18騎の中に含まれていました。反乱が鎌倉幕府の勝利で集結すると盛綱は戦後処理のために安芸国巡検使(あきのくにじゅんけんし)として安芸国に赴き、乱における死傷者や手柄を調査して交名(きょうみょう)(合戦に参加した武士の名簿)を提出しています。

 

 

この働きから盛綱は取り立てられ、同じく御内人(みうちびと)尾藤景綱(びとうかげつな)と共に泰時の使者を勤めるようになり、伊賀氏の乱の処分時には記録係となり、さらに北条得宗家の家令となった景綱と共に北条氏家法である「家務条々(かむ・じょうじょう)」を制定するなど行政官として活躍しています。

 

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御家人と被官(御内)はどう違う?

オンライン授業の講師を務めるkawauso編集長

 

 

鎌倉時代には将軍を差し置いての北条得宗家の独裁があり、御家人と北条氏に仕える被官の立場がごちゃごちゃになっているので、ここで整理しましょう。

 

御家人とは、鎌倉幕府の将軍と主従契約を結んでいる身分の人々です。この中には得宗家である北条氏も含まれていて将軍に忠義を尽くす事が求められます。

 

一方で被官は御内とも呼ばれ御家人に仕える家来です。被官は将軍と主従関係になく従う義務もありませんが、主人である御家人が将軍に仕えているので間接的な主従関係は結ばれています。

 

平盛綱のような存在は御内で、将軍とは主従関係に無いので主人である北条氏を優先する事になります。そのため御家人から見ると自分達より格下の御内が北条氏に媚びて権力を自在に操るように見えていました。ただ、御内には元々御家人で将軍と北条得宗家に二重に仕えている人も多くいますし、純粋に御内だった人間でも幕府内で出世する中で役職を得て御家人を兼職するケースもあります。

 

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はじめての鎌倉時代

 

 

 

 

家令となり得宗家執事の頂点に立つ

鶴岡八幡宮 建物 モブ

 

 

盛綱は、文暦(ぶんれき)元年(1234年)頃、京都大番役を勤める御家人の連絡担当となり、侍所(さむらいどころ)所司(しょじ)を勤めたのではないかと言われています。侍所所司は鎌倉幕府の軍事を司る別当(べっとう)次官(じかん)であり、防衛次官のポストでした。

 

同年には、先任の景綱の跡を継いで北条得宗家の家令の地位に就き、北条家の家政を取り仕切、執権の命令書である奉書(ほうしょ)を発給できる北条氏配下の頂点に立ちます。

 

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北条義時

 

 

 

泰時が死ぬと出家し歴代執権を支える

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

 

仁治(にんち)3年(1242年)3代執権、泰時が病死すると盛綱も出家して隠退し盛阿(せいあ)と名乗ります。しかし、完全に隠居したわけではなく、その後も経時(つねとき)時頼(ときより)と歴代執権に仕え、宝治(ほうじがっせん)合戦の直前には、北条時頼の命令で三浦泰村(みうらやすむら)の屋敷に和平の使者として向かった事が記録されています。

 

ただ、この時は三浦一族滅亡を企む、安達泰盛が先手を打って三浦屋敷に攻め込み、盛綱の仕事は失敗に終わりました。盛綱の没年については、建長元年(1249年)頃と推定されますが、弘長3年(1263年)まで生存していたとする説もあります。

 

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二度にわたり幕政を牛耳る子孫

北条時宗 (坊主)

 

平盛綱は終生、北条氏の被官(ひかん)としての立場を忘れず野心を見せる事はありませんでした。しかし、孫の平頼綱(たいらのよりつな)の時代になると執権北条時宗の子、貞時(さだとき)乳夫(めのと)となったのを足掛かりに幼い貞時の後見人、内管領(ないかんれい)として幕府のポストを兼任、恐怖政治を敷いて鎌倉に君臨します。

 

頼綱は成長した貞時に恐れられ、平禅門の乱で誅殺されますが、頼綱の一族は生き残って長崎氏と名乗り、鎌倉末期の嘉元(かげん)の乱(1305年)以後は盛綱の玄()長崎円喜(ながさきえんき)が台頭。再び、幕政を牛耳るなど二度に渡って北条氏を差し置いて下克上を成し遂げています。

 

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源頼朝

 

 

 

日本史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回は、将軍ではなく北条氏に忠誠を尽くして出世した平盛綱を解説しました。

 

元々、北条氏の家来にすぎず、将軍から見れば家来の家来として卑しまれていた被官の盛綱ですが、得宗家の権力が強大化すると、その得宗家の行政を司る被官の権力も強大化していき、孫や曽孫の時代には北条氏の権力を上回る程に成長したのです。

 

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カワウソ編集長

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日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
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