広告

「鎌倉殿の13人」の黄金はどうして砂金なの?

18/09/2022


コメントできるようになりました 織田信長

日本史 小判(お金)

 

時代劇を見ていると、江戸時代以後に登場する黄金は大体、小判の形をしています。しかし、戦国時代や鎌倉時代になると巾着に包んだ砂金が増えてきます。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 ほのぼの日本史レポート引用について



セクシー御家人・八田知家が比企能員に買収される

八田知家

 

鎌倉殿の13人でもセクシー御家人、八田知家が比企能員に買収され砂金の袋の香りをセクシーにかいでいました。時代が古くなると、黄金の形状が変わるのはどうしてなのでしょうか?

 

こちらもCHECK

八田知家
八田知家とはどんな人?セクシー御家人は源頼朝の兄弟だったのか【鎌倉殿の13人】

続きを見る

 

鎌倉殿の13人

 

 

平安時代や鎌倉時代に砂金が多かった理由

平安の暴れん坊将軍 木曾義仲.jpg

 

平安や鎌倉時代に砂金が多い理由、当時の金が河口から採掘されたものだからです。これは金鉱脈が川の浸食作用などで崩壊し川に流された後に川岸に留まったり河口に流れ着いた自然金でした。

 

こちらもCHECK

kawauso-kirin(kawauso氏の麒麟がきた)
金閣寺を建てた人は誰?目的は?どうして金箔を塗ったの?金色の世界遺産を徹底解説

続きを見る

 

はじめての鎌倉時代

 

 

戦国時代の加工技術

金山のおかげで金持ちだった武田信玄

 

戦国時代頃までは、この自然金を加工していたのでプレーンな状態の金といえば砂金だったのです。1601年、日本の佐渡で世界でも有数の金鉱脈佐渡金山が発見されます。金は岩石の中では複数の鉱物と化合していて岩を砕いた程度では簡単に分離できませんが、戦国時代には水銀を触媒にして貴金属を鉱物から分離するアマルガム製法が南蛮から伝来していました。

 

こちらもCHECK

singen-takeda(武田信玄)
武田信玄が水洗トイレを使っていた理由は暗殺を恐れたからだった!

続きを見る

 

武田信玄

 

 

佐渡金山でも同じ技術を利用

 

佐渡金山でも、この技術を使い鉱物から水銀で金を分離します。こうして分離された金は溶かされて延べ棒状態になり小判の材料になっていきました。やがて河から取れる砂金より鉱山から取れる金鉱石が多くなり金の形も砂から延べ板の形に変化したのです。

 

こちらもCHECK

money(お金・宋銭)
年貢の対義語は?年貢が幕府や藩に支払う税金の立場に変化した理由

続きを見る

 

ほのぼの日本史Youtubeチャンネル

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
【好きな歴史人物】
勝海舟、西郷隆盛、織田信長

-鎌倉殿の13人
-