時代劇を見ていると、江戸時代以後に登場する黄金は大体、小判の形をしています。しかし、戦国時代や鎌倉時代になると巾着に包んだ砂金が増えてきます。
セクシー御家人・八田知家が比企能員に買収される
鎌倉殿の13人でもセクシー御家人、八田知家が比企能員に買収され砂金の袋の香りをセクシーにかいでいました。時代が古くなると、黄金の形状が変わるのはどうしてなのでしょうか?
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平安時代や鎌倉時代に砂金が多かった理由
平安や鎌倉時代に砂金が多い理由、当時の金が河口から採掘されたものだからです。これは金鉱脈が川の浸食作用などで崩壊し川に流された後に川岸に留まったり河口に流れ着いた自然金でした。
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戦国時代の加工技術
戦国時代頃までは、この自然金を加工していたのでプレーンな状態の金といえば砂金だったのです。1601年、日本の佐渡で世界でも有数の金鉱脈佐渡金山が発見されます。金は岩石の中では複数の鉱物と化合していて岩を砕いた程度では簡単に分離できませんが、戦国時代には水銀を触媒にして貴金属を鉱物から分離するアマルガム製法が南蛮から伝来していました。
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佐渡金山でも同じ技術を利用
佐渡金山でも、この技術を使い鉱物から水銀で金を分離します。こうして分離された金は溶かされて延べ棒状態になり小判の材料になっていきました。やがて河から取れる砂金より鉱山から取れる金鉱石が多くなり金の形も砂から延べ板の形に変化したのです。
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