今日の一言「大番役は、やんごとなき人々に顔を売る先行投資」
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」その第1話の冒頭では、北条時政が都の大番役を終えて戻ってくる所から始まります。同じように時政の義父である伊東祐親も大番役を終えて京都から帰還してくるのですが、この大番役とはそもそもどんな務めなのでしょうか?
この記事の目次
自腹で3年間も天皇を守る大番役
大番役とは御所の内裏(天皇の住居)を警護する役割で京都大番役と言いました。
平安時代には、貴族が全国の武士に大番役の任務を割り当てていましたが期間は3年間もあり、しかも経費は一切自腹だったので地方の武士にとっては負担が重い苦役でした。
伊東祐親も北条時頼も自腹で3年間も京都に滞在して天皇を守っていたんですね。
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それ以外にも色々警護
大番役の警備は内裏ばかりではなく滝口の武士と呼ばれた御所全体の警備や武者所と呼ばれた上皇や法皇の御所での警備、さらに女性皇族の護衛など幾つかの警備に分かれていました。
つまり大番役の武士は、日常的に京都の殿上人の顔が見える場所にいた事になります。それは大番役を務める武士にとっては大きなチャンスでもありました。
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先行投資の意味もある大番役
大番役は費用負担のデメリットばかりではなく、御所や院、摂関家の屋敷に出入りする間には、次第に京都の貴族と面識が生まれるメリットもあります。
例えば地方の武士の場合、大番役の役目を通して自分が住んでいる国の介や権介、掾という地方役人のポストを獲得し、土地を支配する正当な権威を保障してもらえるメリットがありました。
大河ドラマでも頼朝が時政に「以仁王と共に乱を起こした源頼政はどんな人物か」と尋ねるシーンがありますが、時政が源頼政を訪ねたのは伊豆が頼政の知行国で、頼政に頼む事で伊豆での勢力拡大が見込めると思ったからです。
ただ、時政は野菜しか持って行かなかったので頼政には相手にされず、頼朝には「何を考えているか分からない人、大将の器ではない」と悪口を言っていましたが…
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公卿と血縁関係を結ぶ
鎌倉幕府13人の合議制メンバーである足立遠元は、元々平治の乱で源義平に仕えた武士でしたが、京都でも幅広い人脈を培っていて、後白河上皇の近臣である藤原光能に娘を嫁がせるなどして、朝廷と太いパイプを持った事から頼朝にも重んじられて、幕府重臣として活躍しました。
当人の才能の問題もありますが、地方の武士が京都に滞在する事は、中央政界の人々とコネクションをつくる上でも重要な事でした。
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都の文化を地方に伝える
大番役で京都の文化に馴染んだ地方武士が、和歌や蹴鞠、双六のような京都の文化を地方に持ち帰って伝播させるという事もあります。
当時、大都市といえば京都以外にはなく、京文化は雅なものとして尊重されたのです。また、地方に赴任した役人の中には都の生活を懐かしむ人も多く、そういう人々に京都の話をして気に入られコネクションが出来る可能性もありました。
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大番役のデメリット
大番役のデメリットとしては、地方の領主やその子が大番役で京都に向かった場合、地元で内紛が起きても容易に解決できないという点です。
すでに名前が出た伊東祐親は、年下の叔父にあたる伊東祐経が大番役に出ている間に、伊豆にあった伊東荘を祐経から奪い、娘とも離婚させています。
また、上総広常は大番役で京都にいる途中に父が死去し、その間に家督を庶兄の常景や弟の常茂に奪われ、長い間内乱状態が続くという事がありました。このように一族に紛争の火種がある武士にとっては大番役はありがた迷惑な部分が多い義務だったようです。
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鎌倉時代に明文化された大番役
源頼朝が鎌倉に幕府を開くと、3年間の大番役は負担が大きいとして半年に短縮されます。さらに承久の乱後に朝廷に対する鎌倉幕府の優位が確定すると期間はさらに短縮されて3ケ月になりました。
しかし同時に、それまで法律の根拠がない曖昧な義務だった大番役は守護の大犯三カ条として御家人の義務となりました。これにより、各国の守護は国内の御家人に大番催促という大番に参加するよう命じる司令を出して、各地の武士は持ち回りで大番にあたる事になります。
この時代には京都ばかりではなく鎌倉にも大番役が設定され、順番に諸国の武士が鎌倉警護の任務に従事する事になりました。
日本史ライターkawausoの独り言
今回は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で北条時政や伊東祐親が務めた大番役について解説してみました。経費も自腹で地方の紛争のタネにもなった大番役の務めですが、中央政界とのコネクションを築いたり、京都の文化を持ち帰る事で地方で尊敬されたり、人によっては使った経費以上の見返りが発生する事もあったようです。
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