鳥居強右衛門とはどんな人?戦国の走れメロスは凄いけどアホだった

03/06/2023


 

コメントできるようになりました 織田信長

聖火を持って走る古代ギリシャ人

 

太宰治の小説「走れメロス」をご存知の方は多いでしょう。暴君を殺害しようとして失敗したメロスは捕らえられて処刑されそうになりますが、ただ1人の妹の結婚式に出る為に、親友を人質として暴君に預け、その後、幾多の困難を乗り越えて親友を救い自らが処刑されるために暴君の前に戻って来る話です。日本の戦国時代にもメロスに劣らない勇者、鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)がいました。今回は凄いけど、よく考えるとアホな足軽、鳥居強右衛門を紹介します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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鳥居強右衛門は奥平信昌に仕える

鳥居強右衛門

 

鳥居強右衛門は、三河国宝飯郡内(ほいぐんない)の生まれで、長篠城の城主だった奥平信昌の陪臣(ばいしん)(家来の家来)だったそうです。

 

奥平信昌

 

奥平氏は三河国人で今川や織田、松平と所属を転々としていましたが、秋山虎繁(あきやまとらしげ)の軍勢に敗れて徳川から武田に鞍替えしていました。しかし、武田信玄が上洛途中に死去し、奥平信昌が徳川家康の長女、亀姫を正室にもらう事で話がまとまり、武田から離反。再び、徳川家に服属し、家康の命令で長篠城を守っていました。

 

 

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岡崎への援軍を求めて鳥居強右衛門は城を出る

炎上する城a(モブ)

 

奥平氏が寝返った事を知った武田勝頼は激怒し、天正3年(1575年)5月長篠城は武田軍15000に包囲されます。長篠城の兵力は僅かに500、それでも兵糧が備蓄されていた事から、5月8日より5日間の戦闘に耐えしのびました。しかし、13日、武田軍の火矢が食糧庫に引火して消失、長篠城はいきなり餓死の危機に追い込まれます。奥平信昌は最後の手段として家康のいる岡崎城に使者を送り援軍を得ようと決断しました。この時、武田軍がひしめく長篠城下を抜ける困難な仕事を受けたのが36歳の鳥居強右衛門だったのです。

 

 

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1日で65キロを走破し岡崎へ到着

溺れる忍者

 

鳥居強右衛門は、14日の夜中に城の下水口から出発、水面に顔を出さず、川を潜る事で武田軍の警戒を抜けて無事に包囲網を切り抜けます。翌15日の朝、鳥居強右衛門は長篠城からも見渡せる雁峰山(かりみねやま)狼煙(のろし)を焚いて脱出に成功した事を告げ、城は歓声に包まれました。ここから鳥居強右衛門は65キロの道のりを走りに走り、当日の午後には岡崎城に辿り着いて援軍を要請します。

 

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援軍を得て、往路130キロを休みなしで走る

逃亡する兵士 日本史ver

 

この時、すでに岡崎城には信長の援軍3万人が到着していて、織田と徳川連合軍38000は明日にでも長篠に向けて出発する手筈でした。鳥居強右衛門は喜んで、この朗報を一刻も早く仲間に伝えねばとすぐに長篠城に向かって引き返します。信長と家康は、鳥居強右衛門に「どのみち明日には出発するのだから今日は休んで明日の朝出発で良いではないか」と引き止めますが、鳥居強右衛門はそれを丁重に断り、ろくに休憩もしないでさらに65キロの道程を走りに走り、16日の朝、再び雁峰山より狼煙をあげた後さらに詳報を伝えるべく長篠城に入城を試みます。

 

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鳥居強右衛門にちょっとアホの子疑惑が…

kawauso編集長

 

いや、ちょっと待って、なんか勢いで戦国のメロスイメージを出してますけど、冷静に考えると、なんかアホっぽい事してませんか?鳥居強右衛門が雁峰山で狼煙を焚いた段階で長篠城は近いうちに援軍が来る事を日時は分からないものの知ってますよね?

 

Ashigaru(足軽-兵士)

 

 

これで充分じゃないですか?後は3日も掛からずに岡崎城から援軍が来るんですから、武田兵がウヨウヨしている長篠城に無理に再侵入せずにのんびり待った方が…しかし鳥居強右衛門は、どうしても自分の口で援軍が来ることを伝えたくて仕方なく危険を冒して長篠城に入り込もうとして、有海村(あるみむら)でウロウロしてる所を武田の兵に捕まってしまうのです。

 

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武田勝頼の買収を拒否し殺害される

武田勝頼

 

強右衛門は厳しく取り調べられ、織田と徳川の援軍が長篠に向かう予定である事を勝頼に知られてしまいます。援軍が来る前に長篠城を落とす必要に迫られた勝頼は、強右衛門に対し「援軍は来ないから諦めて降伏せよと城に伝えよ。そうすればお前を武田家臣に取り立ててやろう」と買収しようとします。

 

強右衛門は勝頼の命令を承諾し、長篠城の西岸の見通しのきく場所へと引き立てられました。しかしすでに死を覚悟していた強右衛門は「あと二、三日で援軍が来るからそれまで持ちこたえろ」と城に向かって叫びました。

 

磔になりながらも「援軍は来る!」と絶叫した鳥居強右衛門

 

 

これを聞いた勝頼は怒り、その場で強右衛門を殺害します。ですが時すでに遅し、強右衛門の命懸けの報告で「援軍近し」の情報を得ることができた信昌と長篠城の城兵は、強右衛門の死に報いる為にも死んでも降伏はしないと誓いあい、必死の武田軍の猛攻に耐え抜き、終に援軍が来るまで持ちこたえたのです。

 

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鳥居強右衛門の子孫

名古屋城

 

強右衛門の子孫は名高き勇者となった強右衛門の通称を代々受け継ぎます。強右衛門の子である鳥居信商(のぶあき)は、父の功績で100石を与えられて旗本となり、奥平信昌の子、松平家治に仕えました。家治が死ぬと信昌の許に戻り、関ヶ原の戦いに参加し、京都で安国寺恵瓊(あんこくじ・えけい)を捕縛する手柄を立てて200石に加増されています。

 

その後、信昌の末子である松平忠明が家康の養子となり、奥平松平を興して忍藩主(おしはんしゅ)となると、鳥居信商を家臣にもらい受けます。鳥居家は忍藩に仕え続け、13代目の鳥居商次が家老になるなど子孫は家中で厚遇されたそうです。

 

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日本史ライターkawausoの独り言

kawauso

 

今回は戦国の走れメロス鳥居強右衛門を解説しました。よくよく考えると、もう少し慎重であれば死なずに済んだのになぁと思えなくもないアホの子疑惑の強右衛門ですが、その後先考えない一本気さが日本人に愛され勇者として語り伝えられている所以なのかも知れませんね。

 

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カワウソ編集長

カワウソ編集長

日本史というと中国史や世界史よりチマチマして敵味方が激しく入れ替わるのでとっつきにくいですが、どうしてそうなったか?ポイントをつかむと驚くほどにスイスイと内容が入ってきます、そんなポイントを皆さんにお伝えしますね。日本史を勉強すると、今の政治まで見えてきますよ。
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