さて今回は江戸城と皇居の関係について解説します。皇居とは天皇の住居であり、現在の皇居は江戸城跡に建てられております。
元々は天皇の住居というのは京都で、東京へ遷都したのですが……もしかすると、遷都の細やかな部分とか、江戸城のその後とかは良く分からない人もいるのかもしれない……?そこで今回は皇居と江戸城の関係、大政奉還や遷都についても触れつつ、おさらいしていきたいと思います。
この記事の目次
大政奉還という戦争の序幕
さて江戸から明治へと時代が移行しようとしている中、日本は割れていました。ざっくりと言うと討幕派尊王派の勢いが強くなり、いざ幕府を討ち倒さん!となっている時期です。
そんな中で慶応3年10月14日、二条城で江戸幕府15代目将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇へ奏上しました。この奏上は翌日勅許され、政権は朝廷に返され……た訳ではなかったのです。結局この大政奉還は名目上のことであり、様々な理由から政治を取り仕切るのは幕府の方でした。
これじゃあ大政奉還の意味がない!ということで、鳥羽伏見を経て戊辰戦争が始まっていくのです。今回は江戸城のお話なので、戊辰戦争についてはまたどこかで。
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江戸城の無血開城
結論から言うと、江戸城は戦場になることはなく、受け渡しが行われました。江戸城無血開城、と言った方が聞き馴染みがあるかもしれませんね。
慶応4年3月、旧幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛とが交渉の末、江戸城の明け渡しが徳川慶喜の謹慎などの条件付きとは言え決定しました。このための無血開城ですが、実際にはその後、いくらかの小さな戦いは各所で行われたようです。とは言え、これにて徳川幕府の居城、江戸城は明治政府に受け渡しされることとなったのです。
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江戸城は徳川家康のものではなかった?
ではここで時代を戦国時代に戻してみましょう。江戸城を作ったのは徳川家康……ではなく、元々は扇谷上杉家の家臣・太田道灌が築いた平山城、平地の中の山に建てられた、お城でした。ここに徳川家康が入り、江戸城は徳川のものとなったのです。徳川家康は1603年、征夷大将軍となり、江戸幕府を開きました。この際に、居城である江戸城を大きく拡張工事を行うこととなったのです。
十年近くにもわたる徳川家康江戸城改築プロジェクト
この徳川家康による江戸城増改築プロジェクトは、開始が1606年、完成が1614年とされています。このプロジェクトには当然ながら多数の石材が必要とされ、各地の諸大名が駆り出されました。完成した江戸城は、本丸・二の丸・三の丸に加えて、西の丸・西の丸下・吹上・北の丸を本城とした大きな規模の城郭となりました。現代から見てもかなり大掛かりな工事ですね。ただし1657年に明暦の大火により天守閣が焼失、それ以降も江戸の町の復興を優先させたために、天守閣はその後再建されないまま、明治政府に受け渡しされたのです。
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江戸城、東京城となる
明治政府に受け渡しされた後、明治元年に明治天皇が江戸へ行幸してきました。行幸はあくまで天皇の外出ですので、この時点ではまだ天皇の居城ではありません。ですがこの際に江戸城は東京城(とうけいじょう)と名を改めることとなります。そして更にその後、明治2年3月28日。東京遷都が決まり、東京城は皇城と称されることになります。因みに当初は西の丸御殿が皇居として利用されていましたが、明治6年に焼失。その後、改めて明治宮殿が建設され、宮城と呼ばれることになるのでした。
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戦争によって焼け出された皇居
しかし、後大正12年。関東大震災によって被害が出ただけでなく、1945年の東京大空襲によって明治宮殿は全焼します。こういった際の避難場所として作られていたのが御文庫であり、昭和天皇はこちらに避難していて無事でした。その後は御文庫を仮住まいとし、1968年に現在の宮が建設されることとなります。この期間が開いたことには昭和天皇の意向である「国民が戦火によって家を失い、暮らしもままならないのに新しい宮殿は建てられない」という国民への思いやりがあったとのことです。
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現代も訪れることができる、江戸城跡と皇居
さて江戸城、その跡地が皇居になっていった経緯について、簡単ではありますが説明させて頂きました。現在ではこの旧江戸城跡地、本丸・二の丸・三の丸跡は皇居東御苑として開放されています。公開日は原則として月曜日と金曜日以外で、入園料は無料です。その他では皇居外苑、北の丸公園は常に解放されているので、訪れてみてはいかがでしょうか。都心でありながら緑が多く、穏やかで歩いていて気持ちの良い場所ですよ。
戦国ひよこライター センのひとりごと
さて江戸城跡地、現在の皇居になる土地。もちろんこの現代に至るまで、様々な歴史がありました。そこには悲痛なものもあれば、哀しいものもあったことでしょう。しかし今現在、解放されている江戸城跡地はとても穏やかな気持ちで歩ける場所となっています。都心にお住まいの方はもちろんのこと、何かの折に都心に行かれる方は、少し足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
参考:江戸城史・増補 東京城史
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