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幕府が禁じた春画の魅力とは?江戸庶民が熱狂し、笑いと色気が詰まった歴史

09/03/2025


 

コメントできるようになりました 織田信長

 

春画を楽しむ江戸の人々

 

 

春画と言うと、江戸時代のポルノグラフィーのような扱いを受けがちです。確かに春画は男女の情交を扱うのでポルノグラフィーではありますが、一方で江戸時代の人々の娯楽であり文化であり教養を与える必需品でもありました。今回は江戸時代に空前の流行を見た浮世絵の一ジャンル、春画について解説します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

yuki tabata(田畑 雄貴)おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、姉妹メディア「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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春画とは何か

 

 

春画とは性愛を扱った浮世絵の一種です。テーマとしては男女の情交が描かれており、笑い絵や枕絵の別名があります。春画の歴史は古く平安時代まで遡り、江戸時代には浮世絵の普及により大名から庶民まで幅広く鑑賞されました。

 

 

 

葛飾北斎や喜多川歌麿などの一流の浮世絵師も春画を描いており、浮世絵師の登竜門的な存在でもありました。そのような経緯から現在は、日本の伝統的な芸術表現として高い評価を受けています。

 

 

 

春画の意味と定義

 

 

春画は広義では、性的な内容を含む絵画全般を指しますが、狭義には江戸時代の浮世絵のジャンルの一つで男女の性交を主題として正面から描いたものを指します。当時の春画は、現在のポルノグラフィーとは違い、社会や文化の中で様々な意味を持っていました。第一に春画は未成年が性知識や性的なテクニックを学ぶ教材として用いられました。

 

藤原兼子(女性)

 

特に女性にとっては結婚や出産に向けての準備として重要な役割を持ち、嫁入り道具の一つでもありました。また、春画には子孫繁栄や夫婦円満の縁起物でした。江戸時代は春画を家に飾ったり贈物にする事で幸運が舞い込むと信じられたのです。

 

 

春画の歴史と江戸時代

 

 

春画の歴史は、日本の美術史において非常に興味深い位置を占めています。春画の原型は、平安時代の絵巻物に見出せます。これらの絵巻物には、男女の性愛や性行為が描かれ、後世の春画のルーツとなりました。この時代の春画は性的な欲求を満たすだけでなく、花嫁の性教育や災難除けのお守りとしての役割も担っていました。

 

時代が鎌倉時代になると、春画はより写実的になっていきます。現存する日本最古の春画とされる「小柴垣草紙」や「袋法師絵詞」では男女の情事が詳細に描かれるようになりました。戦国時代から桃山時代には、「春画」という言葉の由来ともなる「春宮秘戯図」が中国から伝わりました。このインパクトは大きく、それまで、仏教的な因果を説いた解説がついていた絵巻物形式の春画は絶滅し、一組十二図でビジュアルのみで大きく描かれるようになります。しかし、この時代まで春画は全て肉筆であり、庶民の手に入るものではありませんでした。江戸時代に入り、肉筆ではなく木版画の技法が確立すると、春画は浮世絵の一ジャンルとして大きく繫栄します。

 

 

 

江戸には地方から出てきた独身者が多く、男性に比較して女性が極端に少ない状態が江戸後期まで続き、余った男性の受け皿として春画が好まれたのです。享保の改革以後、春画は風紀を乱し、贅沢を助長するとして非合法となりますが需要の多い春画は、版元には旨味があるコンテンツであり、アンダーグラウンドに下りて逮捕される危険を冒してまで出版が継続され、多くの有名な浮世絵師もギャラの高さに惹かれて春画を描きました。

 

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はじめての平安時代

 

 

江戸時代における春画の位置づけ

にぎわう市(楽市・楽座)

 

江戸時代における春画は、単なるポルノグラフィーとしてだけでなく、当時の社会や文化、風俗を反映した多面的な意味を持っていました。春画は、当時の人々にとって、性的な好奇心を満たすだけでなく、娯楽や情報源としての役割も果たしていました。

 

 

また、性に関する情報をオープンに伝える手段の一つでもありましたし、夫婦が購入して春画を参考にしながら夜の営みを円滑にする効果もあったようです。そして、春画には皮肉やユーモア、笑いが込められていたので、封建社会においては庶民の不満やストレスを和らげる効果も持っていました。

 

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春画の主要な絵師と作品

 

春画の主要な絵師と作品には以下のような物があります。

 

菱川師宣 初期の浮世絵師であり、春画の基礎を築いた一人。代表作:「衝立の陰」
勝川春章 葛飾北斎の師匠としても知られる。代表作:「絵本色好之人式」
鳥居清長 美人画を得意とし、春画にも優れた作品を残した。代表作「色道十二番」「袖の巻」
鈴木春信 錦絵の創始者。代表作:「雪中相合傘」
喜多川歌麿 美人画の第一人者。代表作:「歌まくら」
歌川豊国 歌川派の祖。代表作「逢世雁之声」
葛飾北斎 浮世絵の巨匠。代表作「喜能会之故真通」「萬福和合神」
渓斎英泉 美人画を得意とした。代表作「夢多満佳話」
歌川国芳 武者絵や妖怪絵で知られる。代表作「華古与見」

 

上記の絵師以外にも、多くの絵師が春画を描いていて、それぞれの作品に個性や特徴があります。春画は、当時の社会や文化、人々の性に対する考え方などを知る上で貴重な資料です。

 

 

春画の種類と特徴

 

春画の種類と特徴には、以下のようなものがあります。

 

①枕絵 男女の情事を描いた作品で、多くは寝室で鑑賞されたので枕絵と呼ばれました。描写は写実的で、性的な表現もストレートに描かれています。
②笑い絵 直接的な表現を回避しつつ、性的なユーモアや滑稽さを表現した作品で、登場人物の表情や仕草が誇張されていることが多いです。
③危絵 全裸ではなく半裸のセミヌードで、ちょっとした色気をテーマにした春画です。

 

春画は、一般の錦絵よりも沢山売れました。当初は幕府の監視対象ではなかった春画ですが、享保の改革で浮世絵が風紀を乱し、贅沢を助長するとされてからは一転して非合法となります。しかし、浮世絵の版元にとって春画は高い利益が上げられるドル箱ジャンルだったので、地下に潜り、アンダーグラウンドで出版が続きました。無記名ながら春画には予算が多く投入され、名のある絵師も覆面絵師として携わり、非合法のプレッシャーの中でありとあらゆるジャンルの春画が描かれました。

 

 

 

特に有名なのは葛飾北斎の「喜能会之故真通」でオオダコと情交する海女を描いています。

 

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浮世絵としての春画

 

春画は江戸時代の浮世絵にとって重大なコンテンツでした。江戸時代当時、浮世絵は幕府政治を批判する媒体にもなったので、多くが検閲対象であり、発禁処分や刑罰の対象にもなりました。ポルノグラフィーを扱う春画は当初は検閲の対象外でしたが、享保の改革以降、禁止されます。

 

しかし春画は売上においても他の浮世絵の売り上げを大きく上回り、版元にとってのドル箱であり、厳しい禁制が敷かれても、地下に潜伏しアンダーグラウンドで出版が続きました。版元は身元を隠しながら多額の資金を投入し、名のある絵師を動員して豪華な春画を出版し大きな利益を得ました。春画の存在は、それ以外の浮世絵のジャンルを牽引する重要なカテゴリだったのです。

 

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現代春画の様相

Civilization(明治時代の文明開化)

 

江戸時代に一世を風靡した春画ですが、明治時代に入り西洋文明が流入してくると、キリスト教の価値観が浸透し、春画はいかがわしい低俗なモノとして顧みられなくなりました。しかし、戦後に入ると春画の流麗な筆遣いや極限まで無駄を省いた構図、ストレートな性愛の表現が芸術性の面から見直されてきています。

 

 

 

 

イラストレーターの須川まきこ氏(Instagram)のように現代的な感覚で現代の春画を描いたり、過去の春画を現代風にアレンジするなど、21世紀に入ると春画は再び市民権を得てきました。

 

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春画展と体験

kawauso編集長

 

2025年現在、常設の春画展を開催している美術館はないようです。しかし、WEBで検索すれば近場の美術館で春画展の情報を目に出来るかも知れません。春画展に参加した人の体験談では、江戸時代という160年以上前の人々が、あまりにも進んだ性知識を持ち、春画を文化や笑いとして受容していた様子を知り、現在よりも科学の発達していなかった江戸時代の方が、むしろ文化的には大人で爛熟していたのではないかと感じたとの事です。

 

 

春画展の開催情報

 

現在開催を予定している春画展は発見できませんでした。ただ、京都の細見美術館は日本美術を扱う美術館であり、過去に何度か春画展を開催しています。

 

 

人気の春画展および展示された作品

 

日本国内で人気を博した春画展と、そこで展示された主な作品をいくつかご紹介します。

 

春画展 SHUNGA 開催: 2015年、永青文庫(東京) 日本初の春画を主体とした展覧会。イギリス・大英博物館での展示の里帰り企画。主な展示作品:菱川師宣「小むらさき」喜多川歌麿「歌まくら」葛飾北斎「喜能会之故真通」歌川国芳「華古与見」
美しい春画-北斎・歌麿、交歓の競艶- 開催: 2024年、細見美術館(京都) 2016年以来、8年ぶりの春画をテーマとした展覧会。「美しさ」に焦点を当て、肉筆春画を中心に紹介。主な展示作品:葛飾北斎「肉筆浪千鳥」喜多川歌麿「階下の秘戯」月岡雪鼎「月次春画花卉画帖」

 

 

春画の文化的価値

 

春画は当時の人々の生活や思想、性に対する考え方などを赤裸々に表現しています。また、春画に描かれた服装、髪型、流行、娯楽など、当時の風俗を知る上で貴重な資料です。また、春画は、葛飾北斎や喜多川歌麿など、著名な浮世絵師たちが高度な表現技法や構図、色彩感覚技術を駆使して描き、その芸術性の高さは世界的に評価されています。そして春画は、日本の文化が多様であり、性に対する考え方も現代ほど厳格ではなかったことを示しています。春画は、日本文化の奥深さや寛容さを物語る上で重要な資料です。

 

 

日本国内外における春画の評価

 

 

日本国内において、近年、春画は日本の伝統文化として再評価される傾向にあります。また、浮世絵の技術を駆使した春画は芸術作品としての評価も高まっています。同時に春画には、江戸時代の文化や風俗を知る上で貴重な資料としての価値もあります。一方で、性的な表現を含むため、倫理的に問題視する人や公序良俗に反するとして公開を規制する動きもあります。

 

春画は、19世紀末から海外でも芸術作品として高い評価を受け、ジャポニズムとして西洋画壇に影響を与えています。しかし、一方でキリスト教的な観点やイスラム教の影響の強い国では、春画はポルノグラフィーとして受け入れられず、反発を受ける場合もあります。

 

 

春画と他文化の比較

 

春画と他文化の類似の表現物との比較は、それぞれの文化における性の捉え方や表現方法の違いを理解する上で興味深い視点を提供します。例えば、古代エジプトでは、壁画やパピルスに性的な描写が見られますし、古代ギリシャやローマでは、ポルノグラフィー的な要素を含む彫刻や絵画が存在しています。

 

 

 

 

また、インドにはカーマ・スートラという性知識の教科書があったり、寺院の壁画にも性的な表現が見られました。隣国の中国にも、春宮図と呼ばれる性的な絵画が存在し、日本の春画に多大な影響を与えています。一方で、これらの国々では春画の捉え方に違いがあり、インドのカーマ・スートラは性行為のみではなく、人間の感情や関係性についても深く考察されています。

 

逆に、古代ギリシャやローマのポルノグラフィーは、性的な快楽を追求する傾向が強くなり、その中には社会風刺的な要素も含まれていました。春画に近い文化を保有する文明は、自然が豊かで大きな人口を養える強大な国である傾向が強く、逆に性に厳格で、春画のような文化が公にならないキリスト教やイスラム教圏では、土地が痩せていたり貧しく人口が急激に増えると飢餓が起きる地域が多いようです。

 

 

春画は現在どこにありますか?

 

春画が所蔵されている場所には、東京国立博物館や京都国立博物館、すでに紹介した永青文庫や京都の細見美術館等があります。

 

また、幕末に浮世絵の熱心なコレクターが出てきた影響で、大英博物館やメトロポリタン美術館などでも浮世絵の一ジャンルとして春画が所蔵されています。ただ、すでに指摘した通り、春画には過激な性描写が含まれるので、生理的嫌悪感を持つ人もいて、春画だけを常設で展示している美術館などは、まだ見られません。

 

 

大奥の春画とは?

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江戸時代の大奥は女ばかりで、男は将軍しかはいれない男子禁制のハーレムでした。しかし、女性は多くいるにもかかわらず男性は将軍一人という事は、ほとんどの女性たちが夜の営みから外れるという事を意味します。

 

そのような大奥の特殊事情もあり、江戸時代の前半には、すでに大奥に出入りする小間物屋の商人が大奥女中相手に、化粧品などと共に、春画や張形(疑似ペニス)を販売していた事が菱川師宣の浮世絵「床の置物」に登場します。現在では、女性の自慰行為と言うと口に出すのも勇気が必要ですが、江戸時代にはむしろ、自慰行為は健康増進に役立つと考えられていたようです。

 

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日本の最古の春画は?

 

日本最古の春画は、平安時代末から鎌倉時代初期に描かれた小柴垣草子と言われています。内容は、寛和2年(986年)花山朝の斎宮済子女王が、天皇の名代として伊勢神宮に奉仕するため洛西嵯峨野の野々宮で潔斎(禁欲し身を清める)していた時、美男で有名だった滝口武者平致光を女王が誘惑して密通したとの噂が世間に流れ、ついには女王の伊勢行きが取りやめになったという事件をベースに済子女王と平致光の赤裸々な情交を描いています。

 

 

後白河法皇 天皇 鎌倉

 

 

内容は絵と詞(文章)から成り、画は藤原信実。詞は藤原為家とも、画は住吉慶恩、詞は後白河天皇、または画は久我通具が描いたとも言われていますが、ハッキリしません。小柴垣草子はあまりにも直接的で赤裸々な描写であり、現在でも滅多に公開される事はありません。

 

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春画は江戸時代に禁止されていましたか?

 

春画は、1722年(享保7年)に初めて禁止令が出されました。これは享保の改革の一環で、その後に続く、寛政の改革や天保の改革でも続けて禁止令が出続けています。禁止の理由としては春画が性的な表現を含んでいる事から風紀を乱すとして問題視された事。

 

そして春画は豪華な装飾が施された高価な本が多かったために贅沢を禁止する名目から出ています。しかし禁止されても春画の需要は大きく、利益も大きいので春画については地下出版、発行者も絵師も非公開というアングラ市場となっていきます。また、禁止されているからこそ春画の表現には磨きがかかり名作が続々と生まれる事にも繋がりました。

 

 

春画とはどういうものですか?

 

 

春画とは性愛を扱った浮世絵の一種です。テーマとしては男女の情交が描かれており、笑い絵や枕絵の別名があります。春画の歴史は古く平安時代まで遡り、江戸時代には浮世絵の普及により大名から庶民まで幅広く鑑賞されました。

 

 

 

春画の有名な絵師は誰ですか?

 

春画の著名な絵師には、菱川師宣、鈴木晴信、鳥居清長、葛飾北斎、喜多川歌麿、渓斎英泉、歌川国貞等がいます。というよりも江戸時代は春画と他の浮世絵の間に線引きはなく、著名な浮世絵師も春画を手掛けています。

 

春画が確認できないのは東洲斎写楽くらいのものですが、それは写楽が登場から半年ほどで姿を消したからでした。春画は享保の改革以降、幕府の命令で非合法化されていましたが、需要が多く、よく売れるので版元はアンダーグラウンドに潜り、逮捕される危険を冒してまで出版しました。また、ギャラもよいので著名な浮世絵師も春画を描いたのです。

 

 

「春画」の言い換えは?

 

春画の言い換えとしては、枕絵、猥本、笑い絵、春本、秘画、艶絵、危絵、わ印、好色本などがあります。

 

 

浮世絵の春画とは何ですか?

 

浮世絵の春画とは、江戸時代に流行した日本の性愛を描いた絵画のことで、浮世絵のジャンルの1つでした。春画は、現代のポルノグラフィーの役割だけではなく、当時の人々にとって性的な知識や快楽を得るための手段であるだけでなく、笑いや社会の不満のガス抜きなどの精神を安定させる役割や、一流の絵師が総力を傾けたために、一級の芸術作品として評価されるものも多くあります。

 

 

江戸時代の春画は規制されていませんでしたか?

 

春画は、1722年(享保7年)に初めて禁止令が出されました。禁止の理由としては春画が性的な表現を含んでいる事から風紀を乱すとして問題視された事や、春画は売れるので豪華な装飾が施された高価な本が多く贅沢を禁止する名目から出たようです。

 

そのため、以後も寛政の改革、天保の改革と改革が続くたびに槍玉に挙がりました。しかし禁止されても春画の利益も大きいので、発行者も絵師も逮捕のリスクを冒してまで地下のアングラ市場で売りさばくようになります。また、禁止されているからこそ、絵師たちの創作魂には火がつき表現には磨きがかかり、あらゆるテーマと題材、表現方法が百出し名作が続々と生まれる事に繋がりました。

 

 

kawauso編集長の独り言

kawauso編集長

 

今回は再評価が進む春画を解説しました。春画は浮世絵の一つでしたがあまりにも売れ行きがよく、風紀の紊乱と贅沢を警戒した幕府により享保の改革の頃より禁止されます。しかし、利益が大きく、需要も高い春画は絶滅せずに地下に潜ってまで出版され大名から庶民の娯楽として親しまれました。優れた芸術が停滞した社会や抑圧的な権力に対する抵抗の側面を持つと考えると、目の敵にされた春画も社会的なメッセージを自ら背負い、厳しい幕府の締め付けに抵抗して人間の自由を叫んだ存在だと呼べるでしょう。

 

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