NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人「ままならぬ玉」では義理の父である北条時政の圧迫を受けて阿野全成が将軍頼家を呪詛する木彫り人形を作成していました。
しかし、呪詛には効果がなく心変わりした全成は御所の軒下から人形を回収しますが、一体だけ回収し忘れていたのです。しかし事実はドラマより奇なり、木彫り人形にソックリな人形が2005年に平安京遺跡から出土していました。
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阿野全成も真っ青な木彫り人形が平安京遺跡から出土
呪詛人形は2005年中京区西院西溝崎町の中堂寺通馬代の南西部の調査で発見されました。
現在はイオンモール京都五条店とローソン西京極北庄境町店に南北を挟まれた地域です。ここから平安前期の邸宅跡の一画が見つかり、すでに廃棄されて土を被せられた井戸の中から男女の人形が発見されたのです。
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阿野全成の木彫り人形と酷似
男性像は、高さ23センチで幅4センチ厚さ2.5センチ、角材を削りだしてやや背を曲げて立った姿。一本彫りではなく両腕が別パーツで作成され、後ろに手に廻し縛られた姿を表現しています。上腕は半浮き彫りで内側に平坦な面を作り前腕は丸彫でした。
大きさも高さも厚みも、ドラマで全成が作成していたのと似ていて、ドラマと同様に烏帽子をかぶり全裸です。しかし、墨で眉毛、瞳、耳、口髭、顎髭が描かれ、被り物と頭髪も黒く塗られ、腹部と臀部が盛り上がり、足は太めで膝をやや曲げたポーズです。
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阿野全成は彫っていない!女性の木彫り人形
女性像は、高さ16.5センチ、幅2.5センチ、厚さ1.5センチで一回り小さく、男性像同様に、角材を削りだして丸彫の立身に表現していますが、全体は華奢で、丸みを帯びた女性らしいフォルムに仕上げています。
男性像と違い、腕の部分は欠落していますが木釘や接合部が見られるので、男性像同様、後ろ手で縛られた腕があったようです。墨で頭を黒く塗り頭上一髻と呼ばれる平安時代の髪型をしています。
顔については、目、鼻、口を削り出したうえで墨書きをして墨を定着させていました。女性像は、首が細く撫で肩、胸部と腹部はやや膨らみふくよかに表現し、乳首も墨描きであらわされ、脚は細めで軽く膝を曲げた様子で足首は欠落していました。
男性像同様に非常にリアルであり、呪詛人形を作成した人間の強い恨みを感じます。男女という事から恋愛に関する呪いなのかも知れません。ここは阿野全成の木彫り人形とは違いますね。
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鎌倉殿スタッフが阿野全成人形のモデルにした?
平安京からは同様の木彫り人形が出てきているそうですが、大体はおおまかな人形で、ここまで作り込んだものは珍しいそうです。
しかし、烏帽子の雰囲気や立ち姿までドラマの木彫り人形と出土した人形はよく似ています。顔は頼家ではなくヒゲのせいか梶原殿に似ていますが…もしかすると鎌倉殿のスタッフはこの平安京の呪詛人形を参考に全成の人形を作成したのかも知れません。
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阿野全成ものけぞる!名前が残る人形
ドラマでは、呪詛人形の肉体の正面にお札を貼っていましたが、実際に出土した呪詛人形にはお札は貼られてなく、代わりに胴体にそのまま文字が墨で書いてありました。
そして、思わずのけぞる事にこの墨文字、1200年経過した現在でも読めるのです。
名も知らぬ平安人が呪いをかけた男性と女性の名前は葛井福万呂と檜前阿古□□です。□□は欠落していて判別できない文字です。
こちらの両者は夫婦か恋人同士でどちらも大陸の帰化人で、下級役人として右京区に在住していました。ただ、古井戸があるこちらの屋敷に住んでいたのかどうかは不明です。
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阿野全成の先輩?元祖呪詛人形
この呪詛人形を作成した人間については永遠の謎ですが、後ろ手に縛られた刑罰を連想させる人形のタイプから、これは男女を呪殺、あるいは離婚させるための呪いであるようです。
リアルな人形と今でも残る呪いをかけた男女の名前を記した墨の黒々とした所などは、1200年前に古井戸に埋められたとは思えず、呪いの力が今でも生きているのだろうかと、ちょっと恐ろしくなりますね。
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9世紀といえば、平安時代の真っ只中で、牧歌的なイメージですが裏側では、呪術が信じられ貴族がライバルに呪詛を掛け合う呪術廻戦が繰り広げられていました。
そして、呪術に頼ったのは上級貴族だけではなく、下級役人も同様だったようです。
呪いが成就したかどうかは不明ですが、阿野全成はこの失敗が原因で死亡フラグが立ってしまいました。いくら実衣に良い思いをさせたいと思っても、鎌倉殿という東日本最大の権力者を呪ったのは致命的だったのです。やはり、人を呪わば穴2つという事なんでしょうか?
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