2022年、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。歴史物語のお約束として「だいたいの流れが決まっている」というものがあります。
が、それはそれとしても人物が亡くなれば涙するし陥れられれば何だこのやろー!と腹も立てる、更に言うなら合間合間の細やかな流れにその脚本の特徴を読み取り感動するなどなど、楽しみは山より高く盛りだくさん。
そんな中でも筆者が気になるのは、今後の北条政子。今回はそんな北条政子について、色々とおしゃべりさせて頂きたいと思います。
恋愛結婚
さて頼朝と政子と言えば恋愛結婚した、というのが通説です。伊豆に流された頼朝は政子の父、北条時政預かりの身となりますが、この頼朝が娘の政子と恋仲になってしまいます。
当然ながらお父さんは大反対、平家一門にバレる前に……と政子を別の男性へと嫁がせようとするものの、政子はこれを押し切り深夜に脱出、雨の降りしきる中で頼朝の下に走り、二人は結ばれた……というお話は、源平盛衰記のもの。
他にも二人が結ばれる経緯は曾我物語、吾妻鏡でも語られるものはありますが、はっきりした所は良く分からない、というもので、本音を話すと「その方が面白い」……というのも、大きな所ではないかと思います。
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北条政子が尼となるまで
とは言え、1178年には長女である大姫が誕生しているので、それまでには恐らく婚姻はされていたと思われます。その後、頼朝は挙兵し、鎌倉入りしたことで政子は御台所となりました。
さてここから色々なことがあるのですが……割愛!
そして飛んで1199年、源頼朝が亡くなります。通説では「落馬して亡くなった」という、何とも呆気ないものです。個人的には頼朝の最期が呆気ない、というのはそれはそれで色々と考えられて面白いのですが……夫を亡くした政子は、出家して尼になりました。
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「鎌倉殿の13人」と宿老十三人の合議制
頼朝が亡くなったことで、後継者が立てられます。それが頼朝と政子の長男であった、源頼家でした。これが鎌倉幕府の二代目となるのですが、この時の頼家は18歳でした。
まあ現代でも18歳ともなれば大人のような扱いを受けるのでそこまで幼年とは言えないと思いますが、頼家が就任してからほどなくして、政治は「宿老十三人の合議制」に移行します。この辺りから「鎌倉殿の13人」は名付けられていると思われます。
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承久の乱へ
しかし頼家は政務を省みず、蹴鞠に没頭し……とは言われていますが、やや歴史では頼家は暗愚のように描かれ過ぎているということもあり、中々判断が難しい所です。ともあれ頼家は母である政子、ひいては北条氏と敵対するようになり、最終的には出世させられ、後に殺害されることになります。
その後、後を継いだ源実朝。彼が暗殺され、歴史は承久の乱へと結びついていくことになるのでした。
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尼将軍・北条政子
重要なのは、物語としては源頼朝の死で終わりではないということです。寧ろ北条政子、そして北条義時を主軸に据えるとするならば、頼朝の死こそがスタートと言えるでしょう。さてここで筆者が期待したいのは、北条政子。尼将軍・北条政子の大演説。
良く「この大演説によって武士たちは頼朝への恩義を思い出し、また政子の凛とした振る舞いと演説で乱されていた心を静めて鎌倉のために戦うことを選んだ」みたいにされているあれですね。これこそが、北条政子の最大の見せ場、これをどう描いてくれるかが、今回の最大の期待点です。
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北条政子の姿
今回の大河ドラマ、個人的な観点だけ述べますと、最初は田舎の一娘だった政子。彼女が頼朝と出会い、恋する娘から段々と大人の女性、それも鎌倉殿の御台所として成長していく様を、ぐんぐんと見せつけられているような気持ちでいます。
だからこそ、政子のあの「そんなつもりじゃ」はとても良い場面でした。これから変わっていく、変わらざるを得なくなっていく……そんな転換期となったと思います。
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言葉の影響力と北条政子
人は生きていく上で、色々な考えを持ちます。時に感情的になって、その瞬間の思いを口にしてしまうこともあるでしょう。だけど人は、その立場によって言葉で他人の運命すら変えてしまいます。あの場面はこれから政子が、己の言葉で多くの人間が影響を受けてしまう、そういう立場を自覚していくきっかけとなるのではないでしょうか。
そしてそれが「政子の演説」に繋がっていく。その瞬間が、待ち遠しいような怖いような。そんな気持ちでいっぱいですね。
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三国志ライター センのひとりごと
実は本心で話しますと、最初は見ていて「うーん?」と思った所もしばしばありました。しかし段々と踏み込んでいく、段々とこの後に起こるであろう出来事の足音が近付いてくる。それを今では感じて、目が離せないような、見たくないようなそんな気持でもあります。
そして政子と同じくらい目が離せないのが北条義時。これから彼がどうなるのか、非常に恐ろしくも、ありますね。
参考文献:源平盛衰記
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