NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人、第八話「いざ鎌倉」では源義経の衝撃シーンが登場しました。
原野で兎を射止めた義経ですが、別の男が出てきて「兎は俺のモノだ」と矢羽を根拠に主張し、義経に矢を向け「返せ」と詰め寄ります。義経は矢の飛ばし合いをしてより遠くに飛んだ方が兎を獲得する事を提案し、先に男に矢を放たせ、直後に男を射殺して兎を手にしたのです。利益のために簡単に殺人を犯す義経の性格は史実なのでしょうか?
兎の話はフィクション
兎一羽のために簡単に殺人を犯す衝撃の義経ですが、史実では義経の足跡は頼朝と黄瀬川で再会する時までよく分かっていません。従って兎の話はフィクションという事になります。
ただし、兎の話はフィクションでも史実と見られる義経の逸話には多くの問題行動があり、それこそが後に頼朝に疎まれ義経が没落する悲劇に繋がります。兎の話は傍若無人な性格の義経を暗示するために創作されたと考えられるのです。
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自己中な義経
では、ここからは吾妻鏡や玉葉に記された史実の義経の問題行動を解説します。
出典 |
問題行動 |
吾妻鏡 | 義経は鶴岡八幡宮の上棟式で頼朝に大工の棟梁に褒美として馬を与えるよう命じられるが「私に見合う身分の人間がいないので」と断った。頼朝は「畠山重忠や佐貫広綱がいる。卑しい役だと思って拒否するな」と叱り、義経は慌てて馬を曳いた |
玉葉 | 一ノ谷の合戦後、義経は討ち取った平家一門の首を獄門に掛けるために引き渡しを要求するが朝廷は平家が皇室の外戚である事を理由に引き渡しを拒否した。
義経は平家が亡き父、義朝の仇である事を挙げ「朝敵、源義仲の首は獄門にしたのに、同じ朝敵の平家は獄門にしないのは筋が通らない」と主張し獄門に晒した。 |
吾妻鏡 | 梶原景時は壇ノ浦の戦いの後に鎌倉に書状を送り、義経は自分勝手で鎌倉殿の指示も守らずやりたい放題をして、自分のみならず坂東御家人の恨みを買っていると報告。 |
玉葉
吾妻鏡 |
後白河法皇にどうして頼朝と対立したのかを説明。
頼朝が無実の叔父、源行家を殺そうとしたので行家が謀反を企てた。 私は行家を制止しようとしたが叔父は承諾せず私も謀反に同意した。 私が謀反に同意したのは、兄頼朝に代わりに命を懸けて戦い平家を滅ぼしたのに、 兄は褒美どころか私の領地を没収してしまったからだ。 もう生きる希望もないが、そんな私を兄は殺そうとさえしている。 どうせ殺されるなら美濃の墨俣あたりで一戦して一矢報いようと思うので、 頼朝討伐の院宣を頂きたい。それが出来ないなら叔父と自害する。 |
このような逸話から推測すると義経は自己顕示欲が高く、人の心を忖度できない自己中人間である様子が浮かび上がってきます。義経にも言い分があるのでしょうが、全てにおいて自分だけを正当化し被害妄想気味でもあります。
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死を恐れないが味方を危険にさらす義経
義経と言うと敵の意表を突く戦術で連戦連勝したイメージですが、その戦術は常に自分の命も味方の命も危険にさらしました。以下はそんな義経の性格が分る逸話です。
吾妻鏡 | 大蔵卿、藤原経泰が義経に言うには「私は貴族で兵法に詳しくないけれど、総大将が先陣を切るのは危険だと聞いているので副将を送るべきではないですか?」
義経は「私は以前より思う所ありて、常に戦陣で命を懸けているのです」と答えた。 |
吾妻鏡 | 義経が平家追討のために阿波に船を出すとにわかに暴風雨になり多くの船が破損したので、誰も船を出す事を渋った。義経は「天皇の命令を実行するのに遅れてはいけない暴風雨など問題ではないすぐに船を出せ」と命じ暴風雨の中を五隻の船で渡り追い風のお陰で3日掛かる行程が4時間で済んだ。 |
義経は死を恐れない勇将でしたが、同じ感覚を部下にも強制しました。こんな事では命がいくつあっても足りないと辟易する御家人は少なからずいたでしょう。逆にそんな義経に心酔する武士もいたでしょうが、それは小数に留まったのです。
結果勝利したからいいようなものの、一歩間違えばという事はあった筈で、それが義経への不満や恨みとして蓄積した可能性はあります。
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鎌倉殿の13人は悲劇の英雄義経を描かない
さて、ここまでカワウソ編集長が史実の義経について書いてみたのは、鎌倉殿の13人と関係があります。第八話まで視聴してみて編集長が思ったのは、三谷幸喜はキレイゴト大河を描かないんだろうなという事です。
キレイゴト大河というのは編集長の造語ですが、つまり大河の主人公は善で、一見悪事をしているように見えても、それはやむを得ない事情や何者かに騙されてやった事であり本意ではないみたいな意味です。
義経像はそんなキレイゴト大河の典型的な人物で、天真爛漫で正義感の固まりの青年武者義経が天才的な戦術で平家を壇ノ浦での滅亡に追い込むも、梶原景時のような佞臣に嫉妬され、頼朝も景時に騙されて義経を追い詰めていき衣川で殺してしまう。
ああ、なにも悪くないのになんて可哀想な義経という判官びいきです。
でも、実際にそんな事はアリエナイのであり、義経には頼朝や御家人に疎まれる性格的な欠落がありそれがために滅んだのです。その事に触れないで義経を美化するのは結局、義経をキチンと評価していない事になるでしょう。
だから三谷幸喜は最初でフィクションの兎狩りの場面を描いて、鎌倉殿の13人の義経は決して悲劇の英雄ではありませんよと、従来の義経像に反旗を翻したのではないかと思います。
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日本史ライターkawausoの独り言
自分勝手な義経ですが、自分なりの美意識を持っていました。頼朝の追討軍が迫っても自棄になって京都で乱暴狼藉を働く事なく、潔く軍勢を率いて京都を出て行ったのです。
きっとまた都が荒れ果てると右往左往していた人々は義経の決断に深く感謝し、これが後の義経伝説へと繋がっていく事になりました。
「俺は強い!俺は勇者だ。だからこそ、弱い民草に迷惑はかけられない」義経の潔さは後世の武士の鑑になったのです。
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